OFF THE HACK!

Ver 7.0 by NORIHIRO MITA

新しいUX/UI哲学

まぁ、いろいろあるんだが、2013年に、こういうUX/UI哲学を考えた。概念なので、特許とかは無理っぽいんだが、おそらく、現在のスマホのUX/UIはこうならないとね、ということを考えた。

https://www.slideshare.net/norihiromita

ご参考まで。

「地域の時代」の消滅

江ノ島・西海岸

「情報」「人流」「物流」は既に国境を軽々と超えた。3日前に頼んだスマートフォンは、大陸中国の深センで製造され、香港を経由して、いま、東京に届く。お金は国際クレジットカードで支払えば良い。お金は最終的には製造した大陸中国の深センの企業に行く。一瞬で、だ。

日本国内でも地方都市の様相は、都会のベッドタウンと変わらない。同じチェーン店があり、チェーン店の洋品店で買ったものをみんな着ていて、その服は日本の外で作られたものがほとんどだ。どの駅で降りても、同じ。違うのは「きさらぎ駅」くらいなもんじゃないか、という冗談も聞こえるが、ぼくは行ったことがないので、知らないのだが。

つまり「都会」と「田舎」のボーダー(境界)もなくなった。人間社会の将来は「地域に縛られた低所得者」と「地域に縛られない高所得者」に、人間が分かれるのではないか?とさえ思える。こうなると、地域に立脚したあらゆるものが、同じ様相ではいられないことだろう。地域のゆるキャラ投票には地球の裏側からだって投票できる。「メッカの方を向いて礼拝」だって、反対側に向かってやっても間違いではない。

つまり、それがどんな宗教であろうと「地域」がベースであるのが宗教なので、宗教も大きく変わらざるをえないだろう。これは、企業や地域政府などもおそらく同じだ。従来と同じ考えで従来と同じ原理で生きていくことは、周囲との軋轢を生み、うまくいかなくなってくるだろう。

「ローカル」がなくなり「インターナショナル」が普通になる。

この流れについていけない人は、ジリ貧になっていく「地域」に縛られ、ルサンチマンをあちこちで爆発させる。そんな世の中がやってくるだろう。

テレビ見てる?

江ノ島海岸の9月

あくまで個人的には、だが、ぼくは1983年に、自宅にインターネットの常時接続の線(OCN)が入ってきて、それ以来、宅配の新聞はとっていないし、テレビも、YouTubeなどの動画が当たり前になる頃に、まず見なくなった。テレビは、もう1か月に見ている時間は数分だろう。随分高いNHKの受信料金を払っていることになる。

とは言うものの、テレビや新聞の情報は、ネットのニュースなどで上がってくるので、テレビで今なにが話題か?なんて情報はあったりする。偏っているのかもしれない、とは思いつつ、既に「朝ドラ」「紅白歌合戦」ではない。「はぁ、そういうこともあったんですか」という感じなのですね。

ぼくは1957年生まれだから、子供の頃は本当にテレビ漬けと言ってもいい時代を過ごした。しかし、自分からいろいろな欲しい情報を欲しいときに得る、ということになれば、ネットのほうがいいに決まっている。テレビ受像機は捨てたわけではなく、PCのモニタとしてChromecastなんかをつないでいる。そのほうが面白いからだ。時代が変わった。

変化は楽しく、変化しないものは楽しくなくなった。やがて、自分の変化を嫌うときが来るのだろうか?と、最近は考える。

スマホの電波が掴めても

通信インフラが便利になると、一般の人は「電波さえつながればインターネットにつながる」と思っている。実はそれだけではインターネットにはつながらない。途中の回線。サーバー側だってちゃんとうごいていなければならない。

電波がスマホに届いても、その基地局がつなげているのは別のインフラのシステム。インターネットもそうだが、NTTの基幹ネットワークもちゃんと動いていなければ、ネットにはつながらない。

電波が届いていても、インターネットにつながるとは限らない。インターネットがつながっていなければ、メールもインスタもFacebookもtwitterも動かない。

こういう災害時には、その裏側で膨大な機器と人ががんばって、なんとかつないでいるのだ。これは、電力でも水でも今や同じだ。

まずは通信インフラが復旧しないと、電力その他のインフラも全く動かない。ぼくらは、いま、そういう世界に生きているのだ。だから、戦争もサイバー戦争にならざるを得ない。

最初はいろいろあるもんだ

今も覚えてるけどさ、2003年くらいに、デジタルカメラが完成し始めたときに「一眼レフのクイックリターンミラーはなんのためにあるか」って考えて、デジタルカメラの時代には、みんなミラーレスになるよね、って言ったら、まぁ多くの「カメラ好き」の人たちにさんざん叩かれた。「そんなことになるはずがない」ってね。いまそうなってるだろ。

一眼レフカメラのクイックリターンミラーは、レンズから覗いたままを、ファインダーで見て、それをフィルムに焼き付ける、という発想からできた。「見たままを撮りたいから」ってことですね。であれば、撮像素子をフィルムの代わりにしているデジタルカメラは、撮像素子に写っているデータをそのままコピーすりゃいいざんしょ、もう光学的なものやメカ的なものは必要ないよね、と思って、その当時に「ミラーレスの時代が来るよ」って予言したわけです。いや、そういう神がかったのじゃなくて「予想」したわけです。

インターネット以前の時代にデータ通信とか商売にしていたわけですよ。その時に「みんなTCP/IPになるよ」って言ったら、粘着して散々なこと言うNovel Netware信奉者がいたんだよね。何年か経って、そいつが「ぼくもTCP/IP始めました」って言ってくるんだよ。

先を見る。先が見える、ってのは見えたそのときには、迫害されるとか、そういうことあるんだなぁ、と思うよ。だって多くの人がわからないこと言うことになるからね。そういうときに「転向」せずにいられる処世術とか強さ、ってものって、すごく必要なんですよ。

偶然だけど、そういうことを2つも経験した。面白い人生だよなぁ、と思うよ。

スマートウォッチはどれを選んだらいいか?

もう捨てたのもあるから、全部ではないんだが、スマートウォッチでAppleではないもので、手元にあるのを集めて見た。まだ4台もあるよー。こうして見ると、ソフトウエアも含め、どれも一長一短なんだね。

例えば、自分として一番気になる血圧。「気持ち悪くなってきたので、いまの状況を知りたい」ことが多いのだが、ワンタッチでそれがわかるのは一番右はダメ。データとして長期で取るモードしかないので、リアルタイムに血圧測定ができないのだ。

自分の使い方としては、やはりいちばんは「正確な時計」。そして次に「リアルタイムでの血圧測定」。この2つが満たされていれば、あとの機能は必要ないので、このBLOG記事はレビューというよりも、自分の使い方ではこうです、みたいなものだ、と読んでくれればいいんだけれども。

文字盤が大きくて時計が見やすいのは一番左。電池が持つのは両端。やはりサイズが大きなものは、電池の持ちが良いのだ。自分の使い方だと、だいたい3日位持つ。カタログでは10日とか一週間とか書いてあるんだけれども。

軽くて、腕につけているのを忘れるくらいなのは、左から二番目。ただし電池があまり持たない。このタイプのものは、一日が終わったら充電しておくべきだ。サイズが小さいので、電池も小さいのだろう。

左から二番目以外は防水防塵でIPX67か68が多い。

専用の充電ケーブルは右から二番目のもの以外は必要になる。右から二番目のものは、USB-microBで充電できるんだが、ケーブルを選ぶ。金属のコネクタ部分が長めのものが必要。自分の場合は、仕方なく、市販のmicroBのUSBコネクタのところの根本の樹脂部分をカッターで切って金属部分を伸ばして利用している。なにせmicroBのUSBコネクタは充電用として、売るほどある。

値段は一番右が数万円で一番高い。Appleウォッチ並みの値段。真ん中の2つは千円くらい。一番左は5千円くらい。流石に、一番高いのは、表面がタッチパネルになっているのだが、右から二番目のものも、一部がタッチパネルになっている。画面下のほうだ。

どれもスマホ経由で販売会社のデータベースにつながり、長期でのデータも保存されている。自社のものがなければ、他社のものにつながる、というものもある。AppleCareにつながる、というものもある。

どれも機能は一長一短でどんぐりの背比べで、機能を事前にチェックして買おうとしても、細かいところはわからない。買って使ってみるしかない。実はこういうウォッチの中の「チップ」は同じものを使っているので、機能差はそれを利用するソフトウエアやs-バーまでつながるシステムのところで出てくる。

今のところ、僕のお気に入りは一番左。文字盤が大きくて数字が見やすく、必要なときに血圧測定ができるからだ。会議中は血圧上がってる、とかわかるわけですね。もっとも、画面の精細度は少し劣る。しかし画面がここまで小さいので、画面の精細度が気になる、ということはない。

あとは長期に使って見てどうか?というのは、これから調べることになるものもある。電池などの質は1年間くらいかけないとわからないしね。カタログスペックはあてにならない。使い方にもよるから。

スマートウォッチはAppleが始めたのでみんな始めた感じだが、時計としての機能があるものが「スマートウォッチ」。時計としての機能がないもので、健康モニタ(ヘルスケア – 血圧とか心拍などが取れるもの)などの機能を持つものを「スマートブレスレット」と言っていたのだが、最近は、この両方の機能を持つものも増えてきて、それを「スマートウォッチ」ということもある。AppleがAppleWatchでそれを始めたからだ。日本にはまだ認可の関係らしいが、入ってきていないけれども。

そして、実際のところは、どれも同じようなものだ。機能は少々違うくらいで、千円台のものから、数万円するものまであるが、基本は同じだ。あとはデザインによっては高いとか、そういうものもある。ファッション性とかブランドが気になるのであれば、高いお金を出しても、欲しいものを変えば良い。

これらのウォッチのほとんどは、スマホにBluetooth接続し、ペアリングして使うわけだが、複数のスマホを使いまわしている自分としては、1つのウォッチが複数のスマホにつながるようにしてほしいし、ウォッチもこの数あれば、毎日取り替えるわけで、そうなれば、複数のウォッチを1つのスマホにつなげる、ということもあって、気がついたら「Bluetooth接続を忘れちゃった」ってこともある。こういう使い方にちゃんと対応しているウォッチは無いのが現状なので、接続が外れているのを見て、その都度つなげる、ということになる。このあたりは、改善して欲しいところだ。

ところで、 「スマートウォッチ初心者はなにを買ったらいいか」というと、まずは数千円台の安いものを買って「こんなものか」と、その機能がわかるのがいい、と、ぼくは思う。そのうえで、もっと機能が多いのが欲しい、画面の精細度が高いのが欲しい、やっぱり機能よりブランドで選びたい、などの 要求が出てくることがあれば、そういう要求に沿ったものを買う、というのが良いのではないだろうか?

製造業の終わり

うーん、そういうと、すごく違和感がある、って人もいるんだろうけど、秋葉原を歩いていても、かつてのワクワク感がかなりなくなってきた感じがするんですよね。ぼくは特に製造業のIT化で食ってきた身だから、「なんて事言うねん!」とか言われそうなのはわかっているんだが、それでも、「日本の製造業のかつての元気さ」ってのは、もうないし、おそらくかえってはこないだろう、と思うのだね。

それだけなんだけど。

「個性」もまた人それぞれ

鎌倉の大仏のところのライトアップ

人間には、どうしても変えることができない「個性」もあるのだが、一方で「個性」と言うものがない、という「個性」もある。たとえば、役所のお仕事のようなものは、なにがあっても滞っていはいけない。ある日、Aさんが病気で休みを突然とったり、退職した、という場合でも、Aさんのやった仕事を、すぐにBさんに引き継げなければいけない。そんなとき、Aさんの仕事がAさんの個性でしかできない仕事では困るのだ。

だから、役所の多くの仕事は、個性が強いひとがやってはいけない、ということになる。しかし、アニメの原作とか、あるいは、コンピュータのプログラムを組むような仕事では、明らかに「個性」が必要なものがけっこうある。コンピュータのプログラムでも、個性が必要なものと、そうでないものがあるのだ。

とは言うものの「個性が必要でない仕事」は、やはり人工知能やロボットに集約されていく、ということはあるのかもしれない。将来的にはね。

つまり、個性というものも「適材適所」で、個性が必要な場所では個性がある人が仕事なりなんなりをすべきであって、個性が必要ない場所では、そういう仕事が得意な人が仕事をすべきなんだね。



努力して、チャンスを待て。

まちなかでも若い人が一眼のカメラを持って歩くのをよく見る。ネコの写真とか、シロウトものでもそれなりに価値が出る時代だし、一眼カメラを持っているからと言って、全員がプロで食って行けるわけでもなく、カメラを持って何者かになろうとしても、なれるわけでもない。また、プロになったからといって、ずっと食える、ってこともないかもしれない。

他人のことはともかく、自分は写真を仕事で撮っていたから、その仕事に特化したかたちのスタイルを自分で作って、まぁそれなりになんとかなった。つまり仕事が主であって、道具はそれを実現するための、それこそ「道具の一つ」に過ぎないので、それが高価なものであろうと安物であろうと、どうでもいいことだ。

今は趣味で写真に向かっているが、ときどきプロのクォリティを求められるときでも、一眼を使う場面は減っている。安い機材でも、そこそこのものが撮れるし、プロの仕事は機材では差は出ない。そうでなければ、鍛えたプロではない。

写真を仕事にする、というチャンスは人生にそう多くはなく、そうなリたくても、そうなれないで一生終わる人もいる。

チャンスは目の前を通り過ぎるものだ。チャンスは運次第だ。しかし、そのチャンスを掴むための目、今、目の前を通っているものがチャンスなのかそうでないのかの見極めは、一瞬で行わないと、チャンスを逃す。

その一瞬のために、鍛える。勉強が必要であり、チャンスを増やすため「出会い」も求めるのはいいことだ。

全て、根気も才能も努力も必要な「実力」あってのことだ。

Good Luck.

Hello Cyberspace!

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