OFF THE HACK!

Ver 7.0 by NORIHIRO MITA

月別: 2019年12月

聖書の言葉

聖書にはこんな言葉がある。

●マタイによる福音書、10:34~10:37。 10:34 「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。 10:35 わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、/娘を母に、/嫁をしゅうとめに。 10:36 こうして、自分の家族の者が敵となる。 10:37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。

ちょうど二十歳の時、ロンドンで「Jesus Christ Superstar」の舞台を見た。ロンドンのオリジナルだった。その時、素直に思ったのは、舞台の上で展開されている、旧約聖書の世界ではない、劇場の外に広がる人間の狂気の歴史を刻んだロンドン塔などの世界だった。

「本当は怖いクリスマス」なのかもしれない。

とは言うものの、昨年、某カトリック系の雑誌に、拙文を依頼されて掲載させていただいたことがあった。

[OFF THE HACK]の意味

その昔「Off the hook」っていう単語が米国のハッカー界隈で流行っていたんだね。この「Off the hook」は、「電話の受話器を上げろ」っていう意味がリアルな意味です。PCやインターネットがこんなに一般的になる前は「電話ハッカー」ってのがいて、Appleの創業者もハマったらしいんだが(自分で自慢話をしていたりする)、要するに電話を取ってある周波数の音を出すと、電話の交換機が勝手に動き出し、無料で海外通話ができた。もちろん、今の電話交換機ではそういうことはできないんだが、当時はできた。今はSkypeみたいに、無料かそれに近いIP電話があるから、そんなことをやる意味もなくなったんだけどね。

そこで、ハッカー用語で「受話器を取れ」ってことは、電話機と電話交換機をオンラインにしてつなげ、って意味なんだな。このときの電話ハッカーがその当時の電話交換機の制御を違法に行ったときの、音声周波数が「2600Hz」なので、「電話の受話器を上げて、2600Hzの音を出せ」みたいな感じで、現在の米国の有名なハッカーサイトもその名前であったりする。実際、今も「2600」という名前の有名なハッカー雑誌を知っている人は知っているだろう。もうその雑誌は完全にWebに移行してしまって、当然ながら紙の雑誌はなくなっている。

そういうわけで、このBLOGのタイトルを考えるとき、今も生きている米国のIT業界の元祖ハッカーに敬意を表して、というほどでもないが、それを意識して、名前の「hook」を「hack」に変えてシャレてみた。「Off the Hack(ハッキング行為はやめて成長せいよ)」という名前にしたんだな。

実際、米国や日本の30年前のITという言葉ができる前の「ハッカー」は、これらのハッキング雑誌も含めた、自由なITの環境で成長したと言っていい。だから、有名なセキュリティの専門家も、生まれている。前述したように、PC以前の時代に技術者であったAppleの創業者の一人「Steve Gary Wozniak(スティーブ・ウォズニアック)」も、初代Appleの製品ラインを作ったわけだが、それ以前はただの面白がりの電子技術者だったわけだ。彼らは2600Hzの音を出す、シリアルのケロッグのおまけの「笛」を使っていたのだが、しばらくすると、正確に2600Hzの音を出す発振器をウォズニアックが作って、それをSteve Jobsが学生たちに売って歩き、Apple社の元になる最初の資金を作った。その箱が青い箱だったため、その発振器を「Blue Box」と呼び、二人のSteveは大儲けしたのだった。

つまり、米国の元祖ハッカーやそれを知っている人は、このBLOGの表題の「Off the Hack」には、少し反応はするだろう、という、そんなつもりで、この表題にしたのだ。

Steve JobsもWozniakもぼくは会ったことはないが、ぼくは日本で同時代の少し後の時代を生きた。「Off the Hack」の意味、実はそういうことです。

「戦後日本のビジネス」の崩壊の予兆を見る。

日経ビジネスのこの記事。これって、景気が良いときでも言われていたよね?バブルの時期だって、言われていたことですよ。要するに戦後日本の日本型組織というのは、人を「ビジネス機能の1つ」として見るのではなく、ビジネスの場にいる「なんでも屋」を志向していたんです。多機能だったり、単機能だったりのロボットですよ。だから、組織の上司が有能である必要はなかった。そして、ぼくは「劇場型」と言うのだが、関わった人全員が舞台の上にあがって、初めてビジネスが成り立つように構築する。仕事の合理化のために、在宅勤務が進まないのも、通勤ラッシュがなくならないのも、そのためなんですよね。日本のビジネス慣行は、戦後、「工場の工員」「工場の事務員」「営業人員」という人たちが、同じ場所、同じ時間に舞台の上に上がって、そこでやっと始まる。それをまとめる役目は「経営者」なんですね。オーケストラのコンダクターだね。

欧米型のビジネス慣行は「機能型」で、人ひとりが持つ「機能(function)」に注目し、それをモザイクのように組み合わせて、ビジネスを成立させる塊を作る。モバイルがビジネスの中に入り込み、「ロボット」「人工知能」はそういう「機能型ビジネス組織」に最適に作られている。だから、組織の管理職はそのしごとを小さなところまで熟知した有能である必要がある。

日本の「舞台型」ビジネスは、「場」という地域的な概念と「時間の同期」という、時間的な概念の交錯する地点を、どうしても必要とするため「機能型」のビジネス組織に比べ、人間の移動などのコストがかかる。現代においては、このビジネス構築は古いビジネス慣行に慣れた人たちからは「人間味がない」「それでは組織の運営は不可能」と言わしめる。

しかし、ぼくらだって、いつのまにか、意識しなければ、和服を着ることはなく、洋服で暮らすのが当たり前になっているんだよね。ってことはさ、ビジネス慣行も、「お金」という基準で全てを考える事になっているわけだから、遅かれ早かれ「機能型」に移行せざるを得ないのです。具体的に言えば「舞台型」の組織は、その高コストによって、低コストの「機能型」に、淘汰されていく、ってことです。「水は高いところから低いところに流れる」のだから、この物理法則には、何人も逆らえない。つまり、一瞬でも速く「劇場型」から「機能型」の組織に変更していかないと、日本のみならず、あらゆるビジネスが淘汰されていくんです。

この記事にある「当事者意識」ってのはさ、要するに「舞台型組織」における、舞台の上で行われる役者(ビジネスマン)が、役者になりきれるかどうか?ってことね。つまり「カントクの言うことをしっかり聞いて、そのとおりに動けるロボットになりきれるか?」ってことです。そういう人は劇場型組織の中にいるしかないです。そこしか居場所がありません。これは経験とか個人差とかがあることで、どちらがいい、とは言いにくい。でも、機能型の組織のほうが、「低コスト」であるのは論を待たないわけですね。つまり「機能型組織」はコストの面で明らかに「劇場型」の組織に優位にあります。

しかしながら、人が同時に同じ場所に集まらないとできない仕事ってあるわけです。土木工事なんかですね。これはロボット化していくことで、人員削減、というよりも「人手不足」に対応していく。こういう組織は「劇場型」でいいんです。それでも「機能型」の影響は受けていくんだね。組織の根本である「劇場型」は変えることができないんだけれども。

日本の戦後経済を多く支えてきた「製造業」は、国境を超えたサプライチェーンで成り立つ世の中に変わったんです。すでに垂直統合(ネジ一本まで自社生産)というのは、淘汰された後です。だから、「劇場型」から「機能型」に組織が移行できないと、淘汰されていく。

日本企業の組織論は、戦後最大の転換点をここに見ているんだと思うのですね。ぼくはね。

HDD廃棄の定番の方法

IT関係ではいろいろな仕事をしてきたのだが、その中には「データ廃棄のお手伝い」もいくつかあった。しかも、重要なデータの入っているHDDをこの世から完全に抹殺してくれ、という、ゴルゴ13も真っ青、というミッションをいただいたこともある。

で、やり方はというと、実はそんなに難しくない。必ず、物理的に壊すのが一番良いことは言うまでもなく、どこかで、HDDを読まれないために、ドリルで穴を開けた、という話がどこかであったが、要するにそれで十分である。

しかしながら、そのHDDが数個、という数量であれば、一つひとつ、それでOKだが、数百個、ともなると、かなりの労働である。ドリルで穴あけと言っても、大きな穴を開ける必要はなく、それこそ1mmの穴でも、その穴が円盤を抜いていれば、HDDは復元不可能になる。

とにかく、HDDの筐体の中に、直接外気に触れるところを作るだけで、HDDは読めなくなるものだが、見ているほうは不安だろうとは思う。心配であれば、円盤を抜く位置に、ドリルの穴を開けると良い。

壊れてもうどうしようもないHDDを壊す、なんてのは、個人の興味本位でやったが、この際に内部から取り出すことができる永久磁石「ネオジオマグネット」は、超強力で、冷蔵庫にカレンダーを貼り付けるのに重宝する。ただし、あまりに強力な磁石だから、貼った磁石を取り出すときには、指をはさんで怪我をする可能性もあって、それは気をつけたほうがいい。本当に非常に強い磁気を持っているので、キャッシュカードやクレジットカードの磁気ストライプなんかは、近づけると簡単に破壊されるので、これも気をつけよう。いすれにしても「磁石好き(そんなのいるのか?)」には嬉しい、超強力磁石である。繰り返すが、本当に強力なので、小さな子どもでも、冷蔵庫の表面に直接張り付いたこの磁石を剥がすのは大変で、うまくからないと、怪我をする。面白いものではあるが、気をつけて扱う必要がある。

それはともかく、HDDの完全な破壊、というのは、大きな問題だが、内部のデータを完全に上書きして、完全消去する、というソフトウエアも売られている。心配であれば、このソフトウエアでデータを消去してから、物理的な破壊を行う、というのが「完璧」だろう。

なんでも「クラウド」

これから、Windows10をはじめとして、すべてのOSは、クラウドの後ろ盾が無いと動かなくなる。そういう流れが来ている。データは全てデフォルトでネットワークの向こう側にあるサーバーに入る。この仕組みによって、HDDが破壊されてもデータがクラウド上に保全される。そしてそのデータはデジタルフォレンジックの対象になる。ということは、物理的にHDDを破壊してもデータは残る、という、大変に安全なデータ保全ができるようになる。

今回のヤフオクに神奈川県の住民データがいっぱい詰まったHDDを出品した男は、出品以前にHDD内データをどこかに(例えば国外に)コピーして流出させていないだろうか?クラウドのバックアップを自動的にするPCに一度つなげて、その男さえ知らないうちに、接続されたHDD内のデータの一部でも、それがネットワークの向こう側にあるサーバーにコピーされていないだろうか?そのサーバーは国内ではなく、国外にある場合だってあるのだ。

その男が、会社からHDDを持ってきて、夜に自宅のPCに接続する。内容をあらためるのは明日にしよう、と放置しただけで、そのHDD内のデータはクラウド上のサーバーにコピーされることもある。そこまで調べて問題ない、と言うことをちゃんと確かめたのか?

当然、ヤフオク出品前にその男はHDDの中身を見ているはずである。であれば、こう言うことも起こっていて不思議はないのだ。

ITインフラ屋の嘆き

まずは、日本のIT業界のゼネコン構造の頂点の2社に、大きなトラブルがあった12月初め。

●50とも言われる地方自治体の業務サーバーが吹っ飛んで、一部は未だに復旧していない。(NTTデータ社の公式発表記事)

●神奈川県の住民データが大量流出。(朝日新聞記事)

最初の記事はNTTデータ社、後者は富士通であると、記事中にははっきり書いてある。

前者は、つながりははっきりわかっていないものの、サーバーに使っていたシステムのストレージに使われたSSD(最近は銀行などの基幹系でも、トランザクション速度向上のために、ハードディスクではなく、SSDを使うことが多くなった)のトラブル、ということになっている。つまり、重要な部品のトラブルである。

後者は「下請け会社がやらかした」のはわかるが、そんな下請け会社になぜ重要な仕事を任せたのか?その経緯は?ということが問われる。今後は、元請け会社から下請け会社への仕事の発注にも、元発注者が制限をかけ、監視を強めて来るかもしれない。既に、問題のHDDをオークションサイトで落札した方のインタビューとか、実際にやらかした社員の処遇とか、公のニュースに載りつつある。

とは言うものの、日本のこの種のHDD廃棄業をまじめにやっている会社はいい迷惑である。なにもしていないのに「大丈夫か?」と最初から疑ってかかられてしまう。業務遂行や営業のコストも上がるだろう。ひょっとしたら、会社そのものが成り立たなくなるところも出てくることだろう。また、重要なデータの入っているHDDなどの廃棄は、その組織内で行うこと、などの規定もできることになるだろう。

上記2点、いずれも、ITのインフラ系のトラブルであるが、重要なところにはバックアップシステムが稼働しており、前者のトラブルはかろうじて回避できているところも多いだろう。後者の場合は「情報漏えい」であるから、技術力の問題ではなく、下請け会社の信頼についての問題であり「人間系」がより色濃く関わってくる事案だ。

そして、前者、後者のいずれにも「システム開発コスト」が関わっている。簡単に言えば、「システム開発(そして維持運用)コスト」の削減が関わっているトラブルではないか?と疑われる、巨大な、日本という国の根幹をも揺るがすかもしれない、大きな事故である。

インフラの仕事というのは、ITでも同じだが、「見えないところ」に大きなお金がかかる。その中身を知らない生半可な知識の人間が「上」に立つと、実際には削ってはいけない予算を「見えないから」という理由で削ることがある。会社などの組織ヒエラルキー上、そのヒエラルキーの下にいるエンジニアは「上」の命令がいかに理不尽で多大な損失を被る結果を予測できるとしても、それに逆らって、自らの給与を減らすことはせず、それに従う。

通常は、組織ヒエラルキーの上に位置する役職は、その役職以下の仕事の良いも悪いも全て把握している必要があるが、日本ではそういう実効的な組織を作って運営していることは、大きな組織ほど数少ないのではないか?と、私には見える。

この「日本的な組織」がある限り、おそらく同じことは繰り返し起こり、そして、我々の便利なインフラは1つ1つ、信頼のならないものに変わっていくのではないか。そういう懸念を拭いきれない。

新しいことって言うのはこういうこと

Kamakura,Kanagawa pref./Japan

その昔、カメラがアナログのフィルムの時代、AF(自動焦点)や自動露出(AE)を使うのは邪道、などと言われていた。今はプロでも多くの枚数をこの2つの自動の仕組みを使い、多少アレンジは入れるのがプロ、ってことになっている。あくまで結果としてだが、その時代の口うるさいマニアは目のまえにあるものしか見えず、近い未来を見通してものを語ることができない人がほとんどだ、と言うことだ。

2003年にデジカメが高度化を始めた。そのとき、ぼくは今のミラーレス一眼カメラが多く使われるようになるのを予想して(当時はまだレンズ交換式のミラーレス一眼カメラはなかった)、ネット上のカメラ好きサークルに「これからはレンズ交換式の一眼レフみたいなデジカメが出てくる」と、投稿したが「そんなことになるはずがない」というネガティブなコメントばかりを多数頂いた覚えがある。いや、ほとんどそういうコメントばかりだった。ミラーレスになるのは必然、と書いたが、かなりのバッシングを受けた。その反対を言う人は、撮像素子の読み出し速度が遅いとか、長いあいだにできたクイックリターンミラーなどの素晴らしい仕組みがなくなるはずがない、というような、要するに「現在の環境」をもとにその論を構成しているものが、すべてだった。しかし技術は進歩し、環境は変るのである。であれば、100人の敵など恐れる必要はない、と、思い至ったのを覚えている。

「カメラのきむら」の社長は、あんだったかのインタビューで「写真の歴史100年が、デジタルで3年で変わってしまった」と言っていたのを思い出す。デジタルで仕事をしていなければ、たしかにこの変化は予測はできなかったのかもしれない。

大事なことは、一つ一つのテクノロジーではない。そのテクノロジーを使って、なにを実現することを考えているか?である。テクノロジーは「なにがなんだかわからないもの」を扱う「研究」ではない。「目的」があり、その目的を実現させるためにある。

ぼくの論理は当時は明確だった。

もともと一眼レフは、レンズを通して写るそのままの映像を見るためにできた。クイックリターンミラーもペリクルミラー(CANONが開発し製品に使った半透明のミラー。それを使った一眼レフは「ペリックス」という商品になった)もペンタプリズムも、フォーカルプレーンシャッターも、要するにその目的を達成するために考えられた技術である。であれば、その目的を達成できれば、他の手段や他の技術でも使って構わないのだ。デジタルカメラの時代には、映像は撮像素子で電気に変えられた瞬間から、電気信号になるから、フィルムに記録する映像信号を分岐させてディスプレイに表示すれば、一眼レフの技術で目的にしたその目的は達成される。クイックリターンミラーやフォーカルプレーンシャッターなどの精密で微妙な機械部分がなくなれば、カメラは安くなり、メンテナンスのコストも下がる。しかも性能は機械でできたカメラ以上になるはずだ。その時のネックは撮像素子の映像信号読み取り速度だけだったが、それは、新しい技術が解決可能なことをぼくは知っていた。しばらくしたら、SONYが高速度撮影用の超高速映像信号読み出しができる撮像素子をアナウンスした。準備は整った。

新しい映像の時代が動き始め、ミラーレス一眼カメラも今や一般的になった。ぼくが予想した未来がやってきた。

じゃぁ、ここからは未来を語ろう。

8kの時代には3800万画素の動画が当たり前になる。動画を撮れば、そのひとコマを静止画として十分な品質で取り出すことができる。

この時代のカメラはどうなるのか?この時代の映像表現はどうなるのか?これを考えてみよう。あなたとぼくで。

想像力を働かせ、論理的に物事を考え、出た結論に従って自分の行動を規定し、それでも細かい修正は怠らず、世の中の動きも見据えて、方向転換も迅速に行え。

それがあなたとぼくの将来を作っていく。

——–

思えば、日本は「技術では一番」で経済が回っていたが、それは、大きく崩れた。この現状もかつては予想し得た。日本という場所では「作れば売れる」高度経済成長期があり、世界中から「これを作ってくれ」というリクエストが多く、それに応えていれば食えた。今は違う。「何を作れば売れるか考えないと食えない」時代になったのだ。だから「XXが作れます」では食えないのだ。今の日本の製造業の仕事の肝は「何を作ればいいかを考える」ことである。その時代の始まりはおそらくSONYの「ウォークマン」だろう、とぼくは思っているが、その重要さに日本の多くの製造業者は気が付かなかった。

次世代の製造業は「なにを製造すれば食えるか」を考えるところから始める。より上流を考える必要があるのだ。

シン・クライアントのある風景

Engakuji Temple in Kamakura/Kanagawa-pref./Japan

シンクライアントって「Thin client」。thinは薄いって意味だから、端末は普通のPCよりも容量もなく、強力なCPUを積んでいるわけでもない。要するに目の前にあるPCで画面やキーボードがあることはあるんだが、ほとんどの処理を、目の前にあるPCで行うのではなく、ネットワークでつながったサーバー側でまとめてやるわけですね。こういう仕組みをシンクライアントって言うんだよ。

USBメモリーをPCに挿入して、データをUSBメモリから本体にコピーする。その時にコピーされる本体はネットワークを通したサーバーにあるっちゅうわけですね。ウィルスだなんだかんだは、サーバーでまとめてシャットアウトできちゃうわけですよ。表向きにはそう見えないようになってるんですけどね。

デジタルフォレンジック(Digital Forensics)ってのもあってさ、この仕組みで法律事務所は文書管理しないと、米国政府は政府関係の仕事をそこには出さないことに決めたわけですね。そーなるとだな、米国政府に関連する他の国の政府もデジタルフォレンジックしないと付き合わへんよ、てなことになるわけですよ。だから日本政府も日本の大企業もこれからデジタルフォレンジックしないとダメなんだよ。そう米国の連邦政府が要求してるわけね。

でね、このデジタル・フォレンジックをするために、シンクライアントはその前段階なんですね。そのためのシンクライアントなんですよ。

でさ、デジタルフォレンジックやるとさ、全ての文書はいつ誰がどこで起草して、何月何日何時何分何秒にその文章のどこをどう変えたかなんて全て記録に残る。ロールバックと言って、日時を指定すれば、その時点の文書が手に入る。文書の廃棄もできなくなる。これ、米国政府が日本政府にやらんとあかんよ、いうとるわけなんですな。ってことはさ、いま問題になってるあれとかこれってできなくなっちゃうんだな。つまりさ、この辺りのデジタル系の知識は、これから政治家だって企業人だって、上から下まで必須になるんだわ。知らないと大変なことになるんですね。それが世界の普通なんだわさ。「おれっちはパソコン弱くて」って人は、「ぼくは日本語ができません」と言ってるのと同じ、っちゅうわけなんだよね。大変な世の中になりましたなぁ。

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