Ver 7.0 by NORIHIRO MITA

月: 2019年10月

ICTが変える組織

ICT化は「人の囲い込み」を不可能にした。例えば、会社で会議があるとする。その会議中に、スマホをいじってはいけない、というルールがある会社は多い。なぜかというと、会議中に会議外からの情報の流入があると、会議が混乱することがあるからだ。日本的な組織の会議とは、議論の場ではなく、経営者などの意を現場担当者が理解し、会議のその場にイニシアチブを取る人間、普通は経営者が、会議参加者を同じ方向に向かわせるための「洗脳」の意味合いがある。しかし、外部からのわずかな情報でその洗脳が解ける。だから、日本の会社などでの会議では「スマホ禁止」が多いのだ。

「で、この件で反対のものは?」
「いま、言われた話の背景をネットでいま調べたところ、また、金融関係の友人数名に個人的に相談しましたが、やめたほうがいいですね。あるいは今は時期が悪い。しばらく待ったほうがいいですね。理由は。。」

となってしまって、会議がまとまらなくなる。経営者のイニシアチブも取れない。その場での「洗脳」ができない。しかもリアルタイムで崩されていく。加えて、会議後にだって、職場から離れて家に帰ってからだって、今日の会議のことを会議参加者が外部情報によって検証することができる。ICT化によって、少々能力があれば、一般社員でもそれができる。座っている椅子のところに、全ての情報が集まる時代でもなくなった。

かといって、外部のそういう情報をシャットアウトすれば、社員もなにも逃げていく。ここにいると危ない、と思うからだ。経営者などが「その場」を支配することができなくなったのが、ICTというものがある、今の時代だ。

たとえば夫婦だって、家族だって、その例外ではない。食卓を囲む家族そのものが少なくなっているが、目の前に家族を置いていながら、スマホを持てば外部とつながることができる。しかもその様子はスマホを触っている個人しかわからない。そういう時代なのだ。

つまり、従来の組織とかのノウハウなども、本当は役に立たない。そういう時代になったのだ。新しいものを、これから作って行かなければ人間関係は、古い仕組みと新しい仕組みの間で、次の確信もなく、ただただ崩壊していくだろう。かといって、もう昔には戻れないのだ。それが、人類が立つ、今この場所である。

そして、それがDX(デジタル・トランスフォーメーション)そのものであり、RPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)である。組織が変わらなければ、崩壊していく。だから、変わるしかないのだ。

キャッシュレス撤退。

もう10月終わりになる。「これからはキャッシュレスの少額決済サービスだ!」とばかりに政府も音頭をとったつもりになって、騒いでいるものの、実際に決済に使われているのは現金が8割という統計も見た。実際に動いてみればシステムトラブルも多く、コンビニ大手はそれで失敗。現在動いているキャッシュレスシステムの弱さが浮き彫りになった例は数知れない。消費者から見れば、キャッシュレス決済が乱立し、何がなんだかわからない状況になっている。結局は現金持ってりゃどこでもなんとかなるし、キャッシュレスと言うなら、従来のクレジットカードで十分。混乱が混乱を呼び、リーダーシップを持ってこの混乱を抑え込む力も、もうどこの機関も持っていない。

日本のお金のシステムは、過去明治以来100年以上の長きに渡って培って来たものなので、それを崩すには数年では足りない。日本が経済的に豊かであった時代に、ふんだんにお金をかけて、崩れないシステムを、試行錯誤もやって、多くの実力ある人たちが作ってきたのだ。そのシステムは数カ月で崩れるような軟なものではないのくらい、わかっていて欲しいものだ。そのため、日本人の多くはこのレガシーな通貨システムに万全の信頼を置いている。

新たにできるものの前には、もちろん古いものが横たわっている。世界的な流れで、新しいシステムに移行するのが急務であることを認識した上、強大で強固なレガシーなシステムといかに戦い、崩していくか、ということをしなければならなかったのだが、そこまでの認識と覚悟が、関係者には持てなかったのだろう。

期間限定のポイントのバックくらいで揺るぐようなものでは、それはなかった。それは、もうわかったことだろう。誰の目にも明らかだ。優れた先人の、長い期間の汗と努力の結晶であるレガシーな通貨システムは強い。いや、強大で、ちょっとやそっとで変えられるものではない。

「キャッシュレス」。それは、例えて言えば日本の政府にとって、第三次世界大戦に匹敵するほどのたたかいである。そしてその強固で強大な敵は、今度は、自らの内側にいる。

第二次世界大戦の中の太平洋戦争で、強大な米国を相手に戦ったとき、敵を良く知る、連合艦隊司令長官・山本五十六はその知見から「2年は戦える」と語ったという。

キャッシュレスは、既に敗北の白旗の端っこが見え始めた。この戦いは、あと何年かかるのか?その後、誰が勝利するのか?

昔も今も、同じである。「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」。安易に物事を考える思慮の浅さと、大局的なものの見方がないのであれば、この戦には、敗北しかない。

関係者の皆様。時は既に遅い。撤退作戦に入る時期だ。これを間違えると、被害は更に大きくなる。そして撤退作戦は侵攻作戦より難しい。生き残ることを願ってやまない。覚悟して対処してほしい、と思うばかりだ。



失せ物探し

どうも、カメラを取られたか?あるいは落としたらしい。どなたか、発見したら教えてください。黒い百均の袋に入っていて、カメラと一緒に、シューにつけるアクセサリも、半透明のポリプロピレンの小さな箱に入ってます。すみませんが、見つけたら教えていただければと。

2019年10月19日。見つかりました。ありがとうございました。

で、前から気になっていた「撮像素子前のゴミ」が映り込むのを販売店で確認。そのまま入院となりました。同時に、普段使いのPCの画面に謎のサークルが出現。これも、同時に入院。両頬うとも、同じ秋葉原の巨大量販店での買い物だったので、同時入院。なんか凹みます。。。。

I lost my Camera.
I searched for the camera any place, but I cannot find it.
— At 2019/10/19 : I fond it. thanks.

 

 


 

「おっさん」には価値があるか?

「おっさん、って案外役に立つじゃん。バカにしてたけど」。っていうのは、簡単にいえば、「おっさん」というのは、高度経済成長期にふんだんにお金を使って育てられてる「ニッポンの人材」に他ならないからだね。違った環境に放り込まれて、途方に暮れていても、しばらくすると適応して動き出す。初動は遅いが、動き始めると後ろを振り向かず、まっすぐに前を見て進む。そういう身の施し方を知っている人が多い。だって、転勤だとか部署変えだとか、景気のいいときはしょっちゅうだったわけですから。

まぁ、この時点で、適応力の低い「おっさん」は淘汰されるので、実力がないおっさんはここでいなくなる。で、残ったおっさんも必死で動き始める。結果として、若い人間以上の力が出てくることもママある。老害と言われるのは、能力がそれなりに高いので、若い人間に無能と言われつつ、そのポジションで力を発揮しているからであって、どんな年齢であろうと、力がなければ、いなくなるだけなんだよな。その力の正体を、年若い人間は見抜けない。経験がないからね。だから、自分の仕事を邪魔する対象にしか見えない。極楽トンボには極楽しか見えていないからね。でさ「老害」って言っちゃうわけですね。まぁ何事にも「存在意義」があるから、そこにいるんであってさ。

最近「おっさんずラブ」とか、その手の「おっさん礼賛もの」が増えてきてるよね。冷徹に言えば、若い人間の数が少なくなるので、社会を支える労働力としての「おっさん」の価値が相対的に高くなったんだな。これは「おばさん」もおなじでさ。

かつての高度経済成長期には、ロボットのように働く人間が大量に必要だったんだな。文句も言わず、ひたすら言われたことだけをやって、余計なことをしない、ね。でも、今はそういう仕事はホンモノのロボットのほうがうまくやるし、安い。そこで必要になるのは「ロボットのような人間」じゃないわけですよ。

必要なのは「ロボットに、何をしたらいいかを指示する人」「それを考える人」なんだな。そこで、高度経済成長期に、ロボットのように働いて来て、それでも人間だから「なんで俺たちはこういうことで働かないといけないのか?」って疑問を持ちつつ、働いていた「おっさん」が、ロボットのように働きつつ、その懐に隠し持っていた「懐刀」を抜いたんだよ。ホンモノのロボットではなくて、人間であったがゆえに、そういう多様性を隠し持って生きていたんだな。

その懐刀ってのは、何も物騒なものじゃなくて(いや、物騒なものを出すおっさんもごく一部に、いないわけじゃないけど)、僕らが本来は「何をしたらいいのか」という、根本的な問に対する、自分なりの「こたえ」がそこにあるんです。それを持っているんだね。それを「懐刀」と言ってるわけだな。

もっと平ったく言えばこの日本の社会は急激な「少子高齢化」と「世界的な製造業の不況」で「人口減少」が始まっているので、ヒトという種が生き延びていくためには、猫の手も借りたい状況になっていて、おっさんもまっさきに引っ張り出されて来た、ってことなんだよね。からだが動くなら、だけど。

よく言う「フリーライダー」も、そういうものが基礎にあるわけ。「誰だろうが、人間であれば遊んでる場合じゃねぇ」ってことだな。それくらい、人間という種の「危機」が目の前に迫ってる、ってことだよ。

定年になった「おっさん」も、休んでる場合じゃなくなった、稼げ、ってことね。これはさ、「人間社会」でも、一国の問題ではなくて、人間という種の問題なんだよ。だから「おっさんに負けてたまるか」という話ではまるでない。このさい、おっさんに頑張って働いてもらうために、持ち上げておかないとまずいぜ、ってことなんじゃないかと。

台風一過

Enoshima

台風19号が来た。そして去った。今日は湘南の台風一過。昨晩の緊張感がいっぺんに解き放たれた、という感じも一緒になって、気分がいつもの休日とは違う。まるで、この気持ちいい風を受ける至福のときのために、昨晩の台風の命をも削る緊張感があった、という感じさえするほどの快晴と、少し強い湘南の風。小坪のマリーナはまるでサンフランシスコのマリーナ地区のような気分さえする。

とりあえず、史上最大と言われる台風の上陸地に近いこの湘南の海辺で、たいした被害もなかったのは、それだけで幸運というべきだろう。

実際、この地域が津波などに襲われたら、大きな被害があることが想定されている。いま、甚大な台風の被害であえいでいる人たちのことは、他人事ではない。それが湘南というこの地域でもある。

東京から1時間ほどのこの地域は、風光明媚で海と山が楽しめるところだが、その裏に回ってみると、自然が豊富なだけ、自然の災害もまた多かった地域でもあることが、歴史を見るとわかる。サンフランシスコのマリーナ地区はビクトリア調の多くのコンドミニアムが並び、ここに住むことは、サンフランシスコ住民の憧れだった。しかし、1989年の大地震では、この地区は長く続く火災に見舞われ、地面の液状化もあって、多大な被害を出した。

良いことと悪いことは、全くコインの裏表だ、ということが、よくわかる。良いことがあったら、気を引き締め、次なるクライシスに備える。悪いことがあったら、次の良いことの前兆だと思って、暗い洞窟を進む。

釜山に来てみたら?

釜山ってこんなところ

日本の現政府と韓国の現政府とはいろいろあるようだが、韓国という前に、朝鮮半島と日本列島は数千年の交流があり、それぞれが「近代国家」となってあれこれ動き出したなんて、長く見てもたかだか数百年のことに過ぎない。このところのいざこざの期間なんて、実際のところ100年もたっていないことでしかない。であれば、このあとの数千年も今と同じ、ということはまずないだろう、というのは予想がつく。

しかし、飛行機から見ても、地形的にも、釜山というところは、米国のサンフランシスコに似ているかもしれない。入り組んだ地形で海があり、都市があり、その背後には山がある。そして、その所々に、人が住んでいる。風光明媚で、海を楽しみ、街歩きも楽しめるだけでなく、山歩きも楽しめる。

日本の対馬が近いので、晴れた日には、釜山港から対馬が見える。釜山から西に40km行くと、そこには「馬山(Masan)」という都市があり、現在は昌原市(Chagwon-si)の一部になっているが、古い港町だ。そこは対馬に一番近い。戦前は、対馬の人たちは、映画を見に、船で馬山にやってきていた、という。地名が「馬山」で、その対岸だから「対馬」という名前がついたようなのだが、いずれも風光明媚なところだ。馬山は、かつての元寇の基地になったところで、 日本統治時代の領事館や憲兵隊の事務所なども残っていて、日本語の説明プレートもある。 近くに鎮海という軍港があり、そこは旧日本海軍の基地でもあった。昔から良港で知られたところなのだ。現在でも日本の巨大企業(ほとんど東証一部上場企業)の工場などが非常に多く、地元の人間の優良就職先として、人気も高い。

最近の釜山は近代化がすごくて、超高層ビルや超高層マンションもどんどん建っている。かつての港町、という風情もまた残っていて、なによりも、地下鉄各駅での表示をはじめ、日本語が非常に多い。乗り換えターミナル駅に近くなると、日本語のアナウンスも聞こえる。街の屋台でも、メニューが日本語で書いてあったりする。当然、日本語が使える人も多く、日本人が行っても、あまり不自由しない。釜山駅前などには「東横イン」なんかもあったりする。大阪や福岡などからの飛行機は往復で1万円前後なので、関西からは東京に出ていくより安い。

日本↔韓国間の観光客激減、というニュースがあり、飛行機も間引きスケジュールになっている、というのはその通りだが、逆に日本人の「釜山好き」は非常に多く、韓国の日本好きの人もいまだにたくさんいる。私が乗った東京→釜山便のエアプサン(LCC)の飛行機は満席に近かった。逆に、釜山好きな日本人は、この「乗りやすくて安い」この期間を利用して、どんどん韓国旅行を楽しんでいる。以前と同じで、人は人情味があり、もちろん、日本人だろうとどこの人間だろうと、別け隔てはない。過ごしやすい土地でもある。

そのため、日本人で韓国好きには釜山好きの人がとても多い。釜山の人も日本には親しみがある。釜山っていうのは、そういうところだ。

とはいえ、日韓政府間の確執の影響がないわけではない。釜山の金海空港のゲート内のセブン・イレブンは閉店していて、これが韓国系のコンビニの「CU」に変わる、ということなどだ。しかしながら、乗った飛行機の日本便は往復ともにほぼ満席状態だし、全体からすると「あまり大きな影響はないなぁ」というのが素直な感想だ。

実は、韓国情報を日本語で掲載している某ニュースサイトの日本語記事は「韓国での日本車の売上落ち込み」を報道しているのに、他の韓国内の韓国語のニュースサイトでは「今回の両政府の確執による日本車の不買運動はほとんど日本車の売上に影響がなかった」という記事を掲載しているなど、よくわからない報道の齟齬もある。実際、韓国内はもともと韓国車が多いのだが、ときどき日本車が走っていて「おい、あれ、ホンダのロゴじゃないの?」なんてのが、良くあったりする。実は韓国の現代自動車(HYUNDAI)の自動車のロゴは、ホンダの「H」のロゴを斜めにつぶしたような格好をしていて、逆に韓国内ではけっこう目立つ。

実際、私がホテルのテレビを見ていると、そのときのニュースの一番は、釜山を直撃した台風の話題で、これは日本の台風15号の被害をもう一度見る思いだった。二番目のニュースは北朝鮮の発射した「飛翔体」が「SLBM( Submarine Launched Ballistic Missile – 潜水艦から発射されるミサイル )」と発表されたことに対するものだ。日本の話題は、ニュースにはほとんど上がっていない。


「5Gデマ」のこと

いやぁ、あちこちに「5Gデマ」が広がっています。AFPでも、それでデモが起きたときか、そういう話があったりします。「5Gは有害な電波を出す」とか言っています。

実際のところ、電波通信の原理を知っていれば「5Gの電波だから」というようなことはなく、むしろ、1Gとか2Gの時代のほうがはるかに電波が強かったのに、ということになります。

え?「電波」と「電磁波」は違うだろう、って?「電波」って「電磁波」の略だから、同じなんです。「じゃ、電磁波ってなぁに?」ということだと、ぼくら電気系の工学部の大学では「電気磁気学」ってのを習ったわけです。「電気」が流れ、その変化がある(つまり波になる)と、その周辺には「磁気」ができる。「電気」の変化に伴って「磁気」ができると、今度は「磁気」の変化に伴って「電気」が流れる。これが連続して、空中なんかを飛んでいくわけで、これが「電磁波=電波」というわけです。

つまり、思いっきり簡略化していうと「電気があるところには磁気がある」「磁気があるところには電気がある」わけです。ということは、電気で動くものがあるところって「電磁波だらけ」なわけです。テレビだろうが、PCだろうが、洗濯機だろうが、冷蔵庫だろうが、みんな同じです。

あなたが電磁波の無い生活をしたいのだったら、まず周辺からスマホもPCも、洗濯機も冷蔵庫も電卓も、電気を使うものを一切排除すると完璧です。いや、「5Gが」って、じゃ、5Gがその前の4G/LTEとどう違うのか?ご存知ですか?良い面で言えば、5Gは4Gの千倍の通信速度が出ます。悪い面を言うと、その速度が速いから、スマホの基地局とかでは、もっとスピードが速く、もっと容量の大きな設備が必要になります。お金がかかるのです。でも、それだけです。だって、テレビ放送だって、ラジオ放送だって、4Gだって、5Gだって、同じ電波(電磁波)なんですから。

ちなみに、6Gの話ももう出ていまして、こちらは電波はもう使わなくなるんじゃないか?という噂話も流れています。「わからないから、危ないかもしれない」ということで言えば、6Gはそうかもしれない。でも、わかりませんね。実際のものがわかってくるまでは。

Powered by WordPress & Theme by Anders Norén