ICT化は「人の囲い込み」を不可能にした。例えば、会社で会議があるとする。その会議中に、スマホをいじってはいけない、というルールがある会社は多い。なぜかというと、会議中に会議外からの情報の流入があると、会議が混乱することがあるからだ。日本的な組織の会議とは、議論の場ではなく、経営者などの意を現場担当者が理解し、会議のその場にイニシアチブを取る人間、普通は経営者が、会議参加者を同じ方向に向かわせるための「洗脳」の意味合いがある。しかし、外部からのわずかな情報でその洗脳が解ける。だから、日本の会社などでの会議では「スマホ禁止」が多いのだ。

「で、この件で反対のものは?」
「いま、言われた話の背景をネットでいま調べたところ、また、金融関係の友人数名に個人的に相談しましたが、やめたほうがいいですね。あるいは今は時期が悪い。しばらく待ったほうがいいですね。理由は。。」

となってしまって、会議がまとまらなくなる。経営者のイニシアチブも取れない。その場での「洗脳」ができない。しかもリアルタイムで崩されていく。加えて、会議後にだって、職場から離れて家に帰ってからだって、今日の会議のことを会議参加者が外部情報によって検証することができる。ICT化によって、少々能力があれば、一般社員でもそれができる。座っている椅子のところに、全ての情報が集まる時代でもなくなった。

かといって、外部のそういう情報をシャットアウトすれば、社員もなにも逃げていく。ここにいると危ない、と思うからだ。経営者などが「その場」を支配することができなくなったのが、ICTというものがある、今の時代だ。

たとえば夫婦だって、家族だって、その例外ではない。食卓を囲む家族そのものが少なくなっているが、目の前に家族を置いていながら、スマホを持てば外部とつながることができる。しかもその様子はスマホを触っている個人しかわからない。そういう時代なのだ。

つまり、従来の組織とかのノウハウなども、本当は役に立たない。そういう時代になったのだ。新しいものを、これから作って行かなければ人間関係は、古い仕組みと新しい仕組みの間で、次の確信もなく、ただただ崩壊していくだろう。かといって、もう昔には戻れないのだ。それが、人類が立つ、今この場所である。

そして、それがDX(デジタル・トランスフォーメーション)そのものであり、RPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)である。組織が変わらなければ、崩壊していく。だから、変わるしかないのだ。