OFF THE HACK!

Ver 7.0 by NORIHIRO MITA

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「パンデミック」に備える

中国・武漢の「新型コロナウィルス」について、中国国内のみならず、世界各国・各地域で「パンデミック」の可能性が出てきた。こんなときは、感染を防いだり、あるいは感染してしまった場合でも、その感染を広めないために、自宅などに「閉じこもる」事が必要になる。そうなったとき、社会を動かしている、一人ひとりの仕事をどうするか?は、社会生活や企業活動の継続、という観点から、いろいろとやり方を考えなくてはいけない。

1月23日のニュースでは武漢市は市内の交通機関を停止した、とのことだ。武漢市は人口1100万人、東京23区にあたる都市部でも、人口800万人超。既にパンデミックであるが、東京とほぼ同じ規模なので、東京もパンデミックになれば、武漢市のようになる、という可能性も高い。

パンデミック発生時に、人が直接会うことは禁止される。外出が禁止され、多くの商業活動、とりわけ人と人が会うことが多い仕事は、禁止される可能性が高い。であれば、人と人が在宅でも仕事ができる体制を整え、それが瞬時に稼働し、使えることが必要になる。

ICTの分野ではかなり昔から「パンデミック対策」のために、在宅勤務が無理なくできる「ツール」を用意している。しかし、会社の組織体制が「人と人が会うこと」でしかできないような体制であれば、そのツールを使ってもらうことはできないだろう。そのためにも、普段からそのツールに慣れておく必要がある。だから、普段から会社の旧態依然とした体制を見直し、在宅勤務ができる体制を作っておくべきだ。そのときになってから、あわてて在宅勤務体制を作っても間に合わない。

まずは会社の体制や考え方を変え「働き方改革」の動きをうまく利用して、在宅勤務も可とし、実際にそれをやる、ということが必要になる。今の日本の企業の経営者は「これまでもうまくやってきたのだから、これからもうまくやれる」と思っている。実際には、そういうことはない。具体的に体制を変え、体を動かし、新しいことをやってみなければ組織とそこに生きる人の未来はない、とう危機感から、「働き方改革」を考えるのは、無駄なことではない。

「コロナウィルス・パンデミック」がもたらすもの

たとえば、電車で腰掛けているあなたの隣に、明らかに中国語らしい言葉で会話しているカップルがいるとする。あなたは、自分は人種差別をする人間ではない、と思っていても、その場に長くいる、という選択をするだろうか?あなたは中国語を聞いてもわからないし、友人には中国人もいる。

2020年早々に、中国・武漢での新型コロナウィルスによる風邪のような症状のウィルス性感染症が発見され、中国国内はもとより、日本、韓国、タイ、米国でも感染者が報告され、かつ世界中に広がりつつあり「パンデミック(広範囲流行病)」となりはじめた。最初、動物からヒトへの感染が確認された後、ヒトからヒトへの感染も確認され、死者も出た。この状況が毎日、日を追ってマスコミでも多く報道される。

しかも、中国と言えば世界に散らばる華僑がいる。もちろん、台湾などは中国ではない、とは言うものの、台湾人の平均的な多くの人たちは中国語・北京語でしゃべる。日本人のほとんどは、中国語を喋る人を「大陸中国人」「台湾人」という見分けをつけられない。電車の席で隣で中国語を喋るカップルが中国人であるか、台湾人であるかの見分けは、日本人のほとんどはつかない。

あなたが人種差別を忌み嫌う感性を持っていたとしても、あなたはその場を離れることになるかも知れない。「中国語を話す人=新型コロナウィルス感染者」ではないが、あなたは、やがて、中国人の友人をさえ、忌避することになるかも知れない。

大陸中国の政府の国家主席である習近平氏は、1月20日に「断固感染を止める」宣言をした。しかし、「感染を止める」宣言が有効であるとは、多くの人が思っていないだろう。しかも習近平氏の話を良く聞くと「中国国内」の話が主なようだ。しかし、ウィルスには国境がなく、多くの大陸中国人は昔から国境を超える「華僑」が多くいることで知られており、目前、今年は1月24日に大晦日となる、春節(旧正月)には、多くの中国人が集団で国内を移動するばかりでなく、多くの華僑も大陸中国に戻り、そして、春節が終わると、平時に生活の基盤を持っている世界各地に再び帰っていく。その中の少なからぬ人が、新型コロナウィルスの感染者(中国国内での二次感染者、三次感染者も含む)ではない保証はない。

華僑を擁する多くの国や地域とその周辺の地域の人が「中国人」に警戒をする。当然だが、それは中国一国のみならず、世界の経済活動にも「それ」は大きな影響を及ぼすだろう。各国の政府とも、空港など国境の水際での感染者発見と隔離に多くの時間とマンパワーを割き始めている。それでも、ウィルスは見えない。パンデミックが一度起これば、あるいはその徴候が見え隠れしたその時点で、それは世界経済に大きな影響を与える可能性が高い。そして、感染者ではないと確認された人であっても、これまでの人種差別ではない人種差別も、また増えていくことだろう。

人は一人で生きているのではないから「人間とは社会的動物である」という言葉がある。人が集まって作る会社、国、学校。おおよそ人の集まる組織や集団でも、その組織や集団だけで生きているわけでもない。それぞれが相互に作用しあって、現在の生を紡いでいるのだ。であれば、こういったパンデミックは、一国の中での話、と軽く見ることはできない。対岸の火事の火の粉は目の前に降ってくる。

「台湾」と「中国」

2020年、1月11日の台湾の政府「中華民国政府」の、総選挙が終わった。結果は、総統に民進党の蔡英文氏が続投となり、一方、議員選挙では民進党は少し議席を減らしたものの、単独過半数を維持。一言で言って、蔡英文氏側の民進党圧勝。これが結果だ。

現在の民進党は、困難なハードルは多々あるものの、「台湾はすでに1つの国であり、大陸中国の政府の見解とは相容れない」という立場。一方の大陸中国の政府は「台湾は現在の大陸中国の政府の地域である」という立場。全く相容れない。

しかし、馬英九・国民党が政権を取っていた時期とその前から「中国」という呼称について、「中華民国政府(台湾)」と「中華人民共和国(大陸)」での合意があった。その合意は、

中華民国政府は「中国」を「中華民国」の略称であるとする。一方、中華人民共和国政府は「中国」を「中華人民共和国」の略称とする。

という「合意」である。この合意のことを「一中各表」と言う。そして、この認識を「九二共識」と言う。要するに、1992年にこれが決められたからだ。とは言うものの、この「共識」は、双方で同じではない、というややこしいものである。「オレはこう考えるけど、お前の考えていることは知らないよ」ということを両方で確認した、という感じである。

日本にいるとわからないが、日本を離れると、隣の韓国、台湾、中国、ロシア、などでも、複雑な歴史が地域ごとにあるのが当たり前だ。日本人の普通の歴史感覚でこれらのことを考えると、理解できないことが多いだろう。特に、台湾や韓国など、古代から、近代-現代に至る歴史で、様々な周囲の列強の支配者が入れ替わり立ち替わり、これらの地域を支配し、そこからの独立運動があり、という「複雑な歴史」は、その一部だけを切り取って「わかったつもり」にはならないことが重要なことになる。

私も台湾、韓国でお仕事をすることが昔から多いが、そのときには、土地の歴史は最低限調べておくのだが、それでもまだわからないことがまだある、と、感じている。歴史は複雑なのだ。

また「台湾」というのは「地域の名前」であって「国名」ではない。これも日本人の多くは知らないことなのではないか。在台湾の中華民国政府は「台湾」という地域を実質支配しているが、「台湾」はあくまで地域の呼称であって、政府の名前は「中華民国」である。中華人民共和国政府は台湾の独立を認めていない(一つの国であると認めていない)ので、当然「台湾」は、地域の名前であって、中華民国とは違う国の政府がそこにある、とは認めていない。つまり、どちらにとっても「台湾」は「国名」では現在ない。

また、日本の政府は現状、中華民国政府を正式な国の政府として認めていないから、東京にある中華民国政府の大使館はない。大使館扱いの施設は「台北駐日経済文化代表処」という名前になっている。東京の港区・白金台にある。日本の政府は、中華人民共和国を正式な国の政府として認めている。

1949年までは、大陸の政府は「中華民国政府」だったが。1949年その年に、中華民国政府は、大陸から中華人民共和国政府に追い出され、台湾に逃れ、そこで「臨時政府」を作った。だから、中華民国政府は現在でも「大陸は中華民国の国土である」という立場である。一方で中華人民共和国は、大陸の支配者は中華人民共和国政府である、という立場だから、相容れないのは当たり前だ。「いつかは、中華民国政府は大陸を取り戻すのだ」というのは「大陸反攻」と言う。しかし、最近はその大陸反攻の象徴の一つであった「台中」にある「中興新村(もと中華民国「台湾省」地域政府の建物が並んでいる)」も人はいない。あまり強くは言わず、むしろ「台北を中心とした台灣という地域は中華民国の地域である」という主張に軸足を持っていっている感じがある。

このように、政治1つでも、かなり複雑なうえ、そこに、大陸中国や日本の歴史が絡む。非常に複雑な歴史を持っているのだが、これは大陸と陸続きの韓国もまた、同じような複雑な歴史がある。

台灣については、まだまだ語ることがあるのだが、一度に入る情報があまりに多いと、読むほうの頭がついていかないことが多いので、今日はこのくらいで自粛することにする。

「5Gデマ」の科学

5Gデマはいろいろ出回っているが、デマの領域を出ていない。4G以前と5Gを分けるのは、FR2と呼ばれる30GHz前後の、これまで電波としては使いにくく技術が進まなかった帯域の追加と、5G NRと呼ばれる新しい通信方式である。

「とにかく新しくてわからんものは怪しい」という文系脳の情緒的な思考は、具体的根拠に欠けるが、一方でそれを信じる人も増加しており、大きな影響力を持つこともあるから、注意が必要だ。

人間は感情の動物なのではなく、理解と納得に至るまでに複雑かつ広範囲の面倒な学習を必要とする場合は特に、論理的思考や長期間の学習を諦めて、感情で物事を処理しようとするものなのだ。そしてそういう人のほうが数が多く、科学やテクノロジーの急速な進化でそれらが時系列で複雑化していく現代にあっては、理解も納得もなく論理で物事を組み立てられない人の数が急増しているので、その傾向はさらに強まる。

一人の人間の中でも、ある時点においては、多くの知識を持つことがある分野と、少ない知識しか得られない(それまでの経験で得られなかった)分野もある。特に後者に関して、多大で長い複雑なことを理解する勉強が必要な場合は、その理解と納得を諦めるのは、ごく普通の人間の行動である。そして、インターネットや無線というICTの分野の技術は既に多岐で複雑で不可視で、勉強の緒さえつかめない人が多数いるだろうことは、想像に難くない。であれば、その分野に関して、理解や納得を諦め、感情での判断を行う人はこれからも多くなると思われる。

そして厄介なことに、それを理解し納得する人よりも、それを諦める人のほうが圧倒的に数が多いのだ。そしてそれは社会全体から見て、自然なことだ。しかも、ICTのテクノロジーは、芸術・文化から日々の生活、仕事まで、あらゆることに浸透しており、これを無視しては生きていけないのが、今の人間の社会だ。だから、わたしたちの多くは、人間自身が社会の中で作ってきたにも関わらず、理解や納得を諦めた「モノ」「サービス」「体験」に多く、自分の命さえ委ねずに生きていくことはできなくなった。全く理解も共感もできないが、それに頼ってしか生きていけない、という「相方」がすぐ近くに24時間いるようなものだ。しかも「それ」は、人間ではないが、悪意を持っているわけではない。しかし、感情として、どうもスッキリしないのは、如何ともし難い人間の感情を呼び起こす。

簡単に言えば、現代は、人間社会を支えるテクノロジーがどんどん複雑化し、それについていけない人が増えるに従い、人間社会を支える基盤が揺るぎ始めているのだ。そういう意味で「5Gデマ騒ぎ」は軽く扱われるべきではない。

ほんらい、人間の持つ知性とは、怒りなどの反社会的な感情の暴発による社会の崩壊を、理解と納得によって防ぐ機能もあったのだが、知性の持つもう一つの側面である「より良い生活を物事の道理を使いこなすことによって実現する」というところがあまりに強調されすぎ、知性そのものが、人間社会から忘れられようとしているのではないか。それはおそらく、かつて私たちが感じていた「知性」というイメージとはかけ離れたものなのではないか?

「人間は現代において白痴化した」とはよく言われるが、それは、多くの人にとって「複雑で膨大で不可視なもの」となってしまった現代の、知性の結晶の一つとも言えるテクノロジーの急激な進化自身が起こした現象なのである。

古代ローマ帝国の崩壊は、外敵よりも内部から始まった。それは進化の必然であった。現代の人間社会も、その進んだテクノロジーが滅びへの道をより短いものにしたのではないか?多くの人は「考えること」「物事を理解すること」を諦めた。そこから、文明の崩壊が始まる。

「寅さん」の風景

もしも本当に「フーテンの寅さん」が目の前にいたとしても、日本の高度経済成長期のサラリーマンの多くが、彼のことを無視して通り過ぎただろう。そして、そういう人が「フーテンの寅さん」のフィクションを見て泣き笑いする。フィクションだから安心して「全く違う世界に生きる人」を見ていられるのだ。

そうしているうちに、日本人の殆どが現実の「フーテン」になる。日本人の子供が既に多くそうではないか。でなければ、なぜ「こども食堂」などがあるのだ?

日本人の多くは戦後の焼け野原から高度経済成長期に至って、日本人全員が貧困に苦しんだ時代を忘れた。しかし、なにか心に引っかかるものがある。苦い貧困の思い出が、豊かな時代に違和感を感じている。日々流れていく中で、それが、ひょんなことで顔を出す。その瞬間をぐいっとつかんで、日本の庶民サラリーマンに当たり障りのないフィクションとして見せる。それをエンターテイメントとして見せた。それが、若い頃の山田洋次の力だ。そして「寅さん」を見た人は思うのだ。「あぁ、私はここまで来た」。そして「寅さん」で本当は自分もどこかで知っていた別世界を見て、自分のいるところに安堵し、それがフィクションであることに安堵し、眠りにつき、いつもと変わらぬ朝を迎える。

高度経済成長期が終わり、下降線の時代がやってきた。寅さんというフィクションが現実に見え隠れして来たこの時期に、寅さんというフィクションそのものを、さらにCGというフィクションが包み込む。「寅さん(という映画が作られ、見られた)時代」においては「戦後日本の貧困」の時代を思い出させ、「今の低成長の現代」は、「寅さんという物語が作られた時代」を思い出させる。二重構造なのだ。「CGの寅さん」というものは。

横尾忠則という「世界的な表現の天才」がそのアイデアを考え、山田洋次がそれをパクったと横尾忠則氏自身に告発されたが、この横尾忠則の「閃き」を感じた山田洋次も、二番煎じとは言うものの、そのことがわかった、あるいは、いち早く気づいたという一点においてのみ、その行為が「こそ泥」であろうとも、評価して良い。結果はそれでも売れるが、それだけでしかないのではあって、今はそれでもいいのだけれど。

高度経済成長期、日本という地域に住む人の「戦後」の記憶は「寅さん」の中に封印した。誰もがその時代を忘れたいま、閉じ込めていた「懐かしくも忌まわしい記憶」の封印が外されようとしている。慌てて新しい封印を印刷して貼っても効果はないし、新しい入れ物で古い入れ物をさらに封印しても、無駄であろう。しかし、そうせざるを得ないのだ。それが人間というものの性だ。

「CGの寅さん」というのは、実はその「封印が解かれた古い入れ物を包む新しい入れ物」である。「寅さん」を見て懐かしんだ時代では今はない。今は「寅さん」があった時代を懐かしむのだ。

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

2019年の年末は、様々なことが世間でも、個人でも重なり、各方面になにかとご迷惑をかけております。

2020年はというと、まだまだわかりません。としか、言い難い。ただ前に進むしかないなぁ、と思っているところです。

聖書の言葉

聖書にはこんな言葉がある。

●マタイによる福音書、10:34~10:37。 10:34 「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。 10:35 わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、/娘を母に、/嫁をしゅうとめに。 10:36 こうして、自分の家族の者が敵となる。 10:37 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。

ちょうど二十歳の時、ロンドンで「Jesus Christ Superstar」の舞台を見た。ロンドンのオリジナルだった。その時、素直に思ったのは、舞台の上で展開されている、旧約聖書の世界ではない、劇場の外に広がる人間の狂気の歴史を刻んだロンドン塔などの世界だった。

「本当は怖いクリスマス」なのかもしれない。

とは言うものの、昨年、某カトリック系の雑誌に、拙文を依頼されて掲載させていただいたことがあった。

[OFF THE HACK]の意味

その昔「Off the hook」っていう単語が米国のハッカー界隈で流行っていたんだね。この「Off the hook」は、「電話の受話器を上げろ」っていう意味がリアルな意味です。PCやインターネットがこんなに一般的になる前は「電話ハッカー」ってのがいて、Appleの創業者もハマったらしいんだが(自分で自慢話をしていたりする)、要するに電話を取ってある周波数の音を出すと、電話の交換機が勝手に動き出し、無料で海外通話ができた。もちろん、今の電話交換機ではそういうことはできないんだが、当時はできた。今はSkypeみたいに、無料かそれに近いIP電話があるから、そんなことをやる意味もなくなったんだけどね。

そこで、ハッカー用語で「受話器を取れ」ってことは、電話機と電話交換機をオンラインにしてつなげ、って意味なんだな。このときの電話ハッカーがその当時の電話交換機の制御を違法に行ったときの、音声周波数が「2600Hz」なので、「電話の受話器を上げて、2600Hzの音を出せ」みたいな感じで、現在の米国の有名なハッカーサイトもその名前であったりする。実際、今も「2600」という名前の有名なハッカー雑誌を知っている人は知っているだろう。もうその雑誌は完全にWebに移行してしまって、当然ながら紙の雑誌はなくなっている。

そういうわけで、このBLOGのタイトルを考えるとき、今も生きている米国のIT業界の元祖ハッカーに敬意を表して、というほどでもないが、それを意識して、名前の「hook」を「hack」に変えてシャレてみた。「Off the Hack(ハッキング行為はやめて成長せいよ)」という名前にしたんだな。

実際、米国や日本の30年前のITという言葉ができる前の「ハッカー」は、これらのハッキング雑誌も含めた、自由なITの環境で成長したと言っていい。だから、有名なセキュリティの専門家も、生まれている。前述したように、PC以前の時代に技術者であったAppleの創業者の一人「Steve Gary Wozniak(スティーブ・ウォズニアック)」も、初代Appleの製品ラインを作ったわけだが、それ以前はただの面白がりの電子技術者だったわけだ。彼らは2600Hzの音を出す、シリアルのケロッグのおまけの「笛」を使っていたのだが、しばらくすると、正確に2600Hzの音を出す発振器をウォズニアックが作って、それをSteve Jobsが学生たちに売って歩き、Apple社の元になる最初の資金を作った。その箱が青い箱だったため、その発振器を「Blue Box」と呼び、二人のSteveは大儲けしたのだった。

つまり、米国の元祖ハッカーやそれを知っている人は、このBLOGの表題の「Off the Hack」には、少し反応はするだろう、という、そんなつもりで、この表題にしたのだ。

Steve JobsもWozniakもぼくは会ったことはないが、ぼくは日本で同時代の少し後の時代を生きた。「Off the Hack」の意味、実はそういうことです。

「戦後日本のビジネス」の崩壊の予兆を見る。

日経ビジネスのこの記事。これって、景気が良いときでも言われていたよね?バブルの時期だって、言われていたことですよ。要するに戦後日本の日本型組織というのは、人を「ビジネス機能の1つ」として見るのではなく、ビジネスの場にいる「なんでも屋」を志向していたんです。多機能だったり、単機能だったりのロボットですよ。だから、組織の上司が有能である必要はなかった。そして、ぼくは「劇場型」と言うのだが、関わった人全員が舞台の上にあがって、初めてビジネスが成り立つように構築する。仕事の合理化のために、在宅勤務が進まないのも、通勤ラッシュがなくならないのも、そのためなんですよね。日本のビジネス慣行は、戦後、「工場の工員」「工場の事務員」「営業人員」という人たちが、同じ場所、同じ時間に舞台の上に上がって、そこでやっと始まる。それをまとめる役目は「経営者」なんですね。オーケストラのコンダクターだね。

欧米型のビジネス慣行は「機能型」で、人ひとりが持つ「機能(function)」に注目し、それをモザイクのように組み合わせて、ビジネスを成立させる塊を作る。モバイルがビジネスの中に入り込み、「ロボット」「人工知能」はそういう「機能型ビジネス組織」に最適に作られている。だから、組織の管理職はそのしごとを小さなところまで熟知した有能である必要がある。

日本の「舞台型」ビジネスは、「場」という地域的な概念と「時間の同期」という、時間的な概念の交錯する地点を、どうしても必要とするため「機能型」のビジネス組織に比べ、人間の移動などのコストがかかる。現代においては、このビジネス構築は古いビジネス慣行に慣れた人たちからは「人間味がない」「それでは組織の運営は不可能」と言わしめる。

しかし、ぼくらだって、いつのまにか、意識しなければ、和服を着ることはなく、洋服で暮らすのが当たり前になっているんだよね。ってことはさ、ビジネス慣行も、「お金」という基準で全てを考える事になっているわけだから、遅かれ早かれ「機能型」に移行せざるを得ないのです。具体的に言えば「舞台型」の組織は、その高コストによって、低コストの「機能型」に、淘汰されていく、ってことです。「水は高いところから低いところに流れる」のだから、この物理法則には、何人も逆らえない。つまり、一瞬でも速く「劇場型」から「機能型」の組織に変更していかないと、日本のみならず、あらゆるビジネスが淘汰されていくんです。

この記事にある「当事者意識」ってのはさ、要するに「舞台型組織」における、舞台の上で行われる役者(ビジネスマン)が、役者になりきれるかどうか?ってことね。つまり「カントクの言うことをしっかり聞いて、そのとおりに動けるロボットになりきれるか?」ってことです。そういう人は劇場型組織の中にいるしかないです。そこしか居場所がありません。これは経験とか個人差とかがあることで、どちらがいい、とは言いにくい。でも、機能型の組織のほうが、「低コスト」であるのは論を待たないわけですね。つまり「機能型組織」はコストの面で明らかに「劇場型」の組織に優位にあります。

しかしながら、人が同時に同じ場所に集まらないとできない仕事ってあるわけです。土木工事なんかですね。これはロボット化していくことで、人員削減、というよりも「人手不足」に対応していく。こういう組織は「劇場型」でいいんです。それでも「機能型」の影響は受けていくんだね。組織の根本である「劇場型」は変えることができないんだけれども。

日本の戦後経済を多く支えてきた「製造業」は、国境を超えたサプライチェーンで成り立つ世の中に変わったんです。すでに垂直統合(ネジ一本まで自社生産)というのは、淘汰された後です。だから、「劇場型」から「機能型」に組織が移行できないと、淘汰されていく。

日本企業の組織論は、戦後最大の転換点をここに見ているんだと思うのですね。ぼくはね。

HDD廃棄の定番の方法

IT関係ではいろいろな仕事をしてきたのだが、その中には「データ廃棄のお手伝い」もいくつかあった。しかも、重要なデータの入っているHDDをこの世から完全に抹殺してくれ、という、ゴルゴ13も真っ青、というミッションをいただいたこともある。

で、やり方はというと、実はそんなに難しくない。必ず、物理的に壊すのが一番良いことは言うまでもなく、どこかで、HDDを読まれないために、ドリルで穴を開けた、という話がどこかであったが、要するにそれで十分である。

しかしながら、そのHDDが数個、という数量であれば、一つひとつ、それでOKだが、数百個、ともなると、かなりの労働である。ドリルで穴あけと言っても、大きな穴を開ける必要はなく、それこそ1mmの穴でも、その穴が円盤を抜いていれば、HDDは復元不可能になる。

とにかく、HDDの筐体の中に、直接外気に触れるところを作るだけで、HDDは読めなくなるものだが、見ているほうは不安だろうとは思う。心配であれば、円盤を抜く位置に、ドリルの穴を開けると良い。

壊れてもうどうしようもないHDDを壊す、なんてのは、個人の興味本位でやったが、この際に内部から取り出すことができる永久磁石「ネオジオマグネット」は、超強力で、冷蔵庫にカレンダーを貼り付けるのに重宝する。ただし、あまりに強力な磁石だから、貼った磁石を取り出すときには、指をはさんで怪我をする可能性もあって、それは気をつけたほうがいい。本当に非常に強い磁気を持っているので、キャッシュカードやクレジットカードの磁気ストライプなんかは、近づけると簡単に破壊されるので、これも気をつけよう。いすれにしても「磁石好き(そんなのいるのか?)」には嬉しい、超強力磁石である。繰り返すが、本当に強力なので、小さな子どもでも、冷蔵庫の表面に直接張り付いたこの磁石を剥がすのは大変で、うまくからないと、怪我をする。面白いものではあるが、気をつけて扱う必要がある。

それはともかく、HDDの完全な破壊、というのは、大きな問題だが、内部のデータを完全に上書きして、完全消去する、というソフトウエアも売られている。心配であれば、このソフトウエアでデータを消去してから、物理的な破壊を行う、というのが「完璧」だろう。

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