経済を始め、あらゆる分野での、日本の存在感がかつてほどではなくなり、それが明確且つ広範に、やっと公知のこととなってきた。すでに数年以上前からこの事実は産業界では言われているのだが、ようやく日本国民一般の知るところとなった。「日本は衰退している」のである。
しかし、本当のことを言うと、それは、衰退ではない。「日本が一番良かった時代が終わった」だけであって、高度経済成長は「一夜の夢」であったのは、歴史を勉強をすればわかる。「あの時代」はいくら望んでも戻ってこない。威勢のいいその時代を知る高齢者がいくら頑張っても元には戻らない。
つまり、高度経済成長後の日本という地域はもとに戻った、のだ。かぼちゃの馬車がもとのかぼちゃに戻っただけだ。
では、この「日本という地域」を「近年稀に見る高度経済成長」させたのは、何だったのだろうか?私はそれは「世界的な製造業の産業革命以来の隆盛」「第一次世界大戦、第二次世界大戦の2つの戦争による大量殺戮と大量破壊による戦後復興需要」「冷戦の最前線の一歩手前という日本という地域の立地」が重なった、非常にラッキーな場所に日本という地域がいたからだと、私は思う。日本という地域の製造業は、第二次世界大戦後の50年間に隆盛をきわめたが、その夢はもう終わった。
日本人が優れていたということでもない。しかし、たとえ日本という地域に住む人が他の地域の人たちよりも優れていたとしても、日本の経済はもとに戻らないだろう。立地による「ラッキー」はなくなったからだ。
そして次の時代が訪れた。地域を拠り所としない「グローバル化」の時代である。この時代を作ったのは「情報」「もの」「人」の、地域を超えた動きであり、それが「価値」をもグローバル化した。その根底にはインターネットがある。デジタルテクノロジーを、世界の人々は全て平等、という哲学の下に結集させたのが、インターネットである。インターネットは政治やビジネスの道具にもなるが、根本的に「地域」を消滅させる麻薬、あるいは妙薬である。それが麻薬であれ妙薬であれ、インターネットは人類に新しい時代をもたらしたと言えるだろう。
人類は、かつて産業革命という新しい時代に、もちろん未経験で、創意工夫でなんとか対応してきた。そして今日があるのである。であれば、次の大きな変化であるグローバル化も乗り切ることができるだろう。
過去の経験は、だから役に立たない。過去を捨て、新しい時代に適応して新しい価値を作ってこそ、人類の明日がある。