コンビニのレジでは「レジ作業をしているときはイヤホンを外してください」という表示があるところがあるどうだ。

コンビニのレジもそうだけど、対面で人とコミュニケーションするときは「あなたとのコミュニケーションに一生懸命です」という「サイン」を相手に送って、相手の関心をこちらに向ける、ということはけっこう当たり前に必要です。現状ではね。

付けているイヤホンを外すことで「私はあなたの話を真剣に聞きます」を相手にボディ・ランゲージで伝え、それを伝えられた相手はその返信を返す。そこから、コミュニケーションを始める。これは、人間が対面でコミュニケーションするときの、最初のプロトコルなんですよね。コンピュータのデータ通信でも、最初に「コネクションを張る」→「実際のコミュニケーションをする」になります。そして最後に「今のやり取りはここで終了ですね」というシグナルも送る。そうすることによって、コミュニケーションをしている人のどちらもが、次のコミュニケーション行動に移れます。

ただし、こういう文化は将来変わっていく可能性があるから、あくまで「現状では」とだけ言っておくんです。これは文化の問題だからね。時間とともに、環境の変化とともに変わるものだからね。

時代が進むと、人と人との対面のコミュニケーションではなく、コミュニケーションは遠隔地同士の「電話」になり、次にお互いの行動が時間的に「非同期」であっても成立する「メール」や「メッセージング」になる。そうなると、そして、そういうコミュニケーションがメインになってくると、文化も変わってくるわけですね。現代人は忙しいので、時間的に「同期」するコミュニケーションは、おそらく忌避され「非同期」コミュニケーションに移っていくんでしょうね。

人と人とが肌をあわせるようなコミュニケーションはありますよね。これは人間が生物であれば、どうしても外せないわけです。つまり「非同期」コミュニケーションは「非人間的」に見えてしまう。しかし、コミュニケーションにかかるコストがぎりぎりまで詰められている現代においては、コストがかかる「同期コミュニケーション」は、非常に稀になり「非同期コミュニケーション」が、一般的に使われるようになる。コストが安いからです。

だから、必ず「非同期」に全部が行く、ということではなくて、「同期」はコストがかかり「非同期」はコストが安い。だから、「同期」の機会は減り「非同期」が日常のコミュニケーションになる。そういう社会・文化になる、ってことです。これはコミュニケーションのコストの問題なんです。

音楽で言うと「ライブ」はコストが高い。録音はコストが低い。オンラインのオンデマンドの音楽は更にコストが安い。だから、使えるお金が限られるから、日常的には「非同期」なものを使わざるを得ず、特別なときに「同期」のものを使う。

つまり、コミュニケーションをコストで考える思考がないと、情緒的に「(同期コミュニケーションしかなかった)昔はよかった」になる。そりゃ、同期コミュニケーションはすごくいい。お金が無限に使えるならね、ってことですね。