「おっさん、って案外役に立つじゃん。バカにしてたけど」。っていうのは、簡単にいえば、「おっさん」というのは、高度経済成長期にふんだんにお金を使って育てられてる「ニッポンの人材」に他ならないからだね。違った環境に放り込まれて、途方に暮れていても、しばらくすると適応して動き出す。初動は遅いが、動き始めると後ろを振り向かず、まっすぐに前を見て進む。そういう身の施し方を知っている人が多い。だって、転勤だとか部署変えだとか、景気のいいときはしょっちゅうだったわけですから。

まぁ、この時点で、適応力の低い「おっさん」は淘汰されるので、実力がないおっさんはここでいなくなる。で、残ったおっさんも必死で動き始める。結果として、若い人間以上の力が出てくることもママある。老害と言われるのは、能力がそれなりに高いので、若い人間に無能と言われつつ、そのポジションで力を発揮しているからであって、どんな年齢であろうと、力がなければ、いなくなるだけなんだよな。その力の正体を、年若い人間は見抜けない。経験がないからね。だから、自分の仕事を邪魔する対象にしか見えない。極楽トンボには極楽しか見えていないからね。でさ「老害」って言っちゃうわけですね。まぁ何事にも「存在意義」があるから、そこにいるんであってさ。

最近「おっさんずラブ」とか、その手の「おっさん礼賛もの」が増えてきてるよね。冷徹に言えば、若い人間の数が少なくなるので、社会を支える労働力としての「おっさん」の価値が相対的に高くなったんだな。これは「おばさん」もおなじでさ。

かつての高度経済成長期には、ロボットのように働く人間が大量に必要だったんだな。文句も言わず、ひたすら言われたことだけをやって、余計なことをしない、ね。でも、今はそういう仕事はホンモノのロボットのほうがうまくやるし、安い。そこで必要になるのは「ロボットのような人間」じゃないわけですよ。

必要なのは「ロボットに、何をしたらいいかを指示する人」「それを考える人」なんだな。そこで、高度経済成長期に、ロボットのように働いて来て、それでも人間だから「なんで俺たちはこういうことで働かないといけないのか?」って疑問を持ちつつ、働いていた「おっさん」が、ロボットのように働きつつ、その懐に隠し持っていた「懐刀」を抜いたんだよ。ホンモノのロボットではなくて、人間であったがゆえに、そういう多様性を隠し持って生きていたんだな。

その懐刀ってのは、何も物騒なものじゃなくて(いや、物騒なものを出すおっさんもごく一部に、いないわけじゃないけど)、僕らが本来は「何をしたらいいのか」という、根本的な問に対する、自分なりの「こたえ」がそこにあるんです。それを持っているんだね。それを「懐刀」と言ってるわけだな。

もっと平ったく言えばこの日本の社会は急激な「少子高齢化」と「世界的な製造業の不況」で「人口減少」が始まっているので、ヒトという種が生き延びていくためには、猫の手も借りたい状況になっていて、おっさんもまっさきに引っ張り出されて来た、ってことなんだよね。からだが動くなら、だけど。

よく言う「フリーライダー」も、そういうものが基礎にあるわけ。「誰だろうが、人間であれば遊んでる場合じゃねぇ」ってことだな。それくらい、人間という種の「危機」が目の前に迫ってる、ってことだよ。

定年になった「おっさん」も、休んでる場合じゃなくなった、稼げ、ってことね。これはさ、「人間社会」でも、一国の問題ではなくて、人間という種の問題なんだよ。だから「おっさんに負けてたまるか」という話ではまるでない。このさい、おっさんに頑張って働いてもらうために、持ち上げておかないとまずいぜ、ってことなんじゃないかと。