日経ビジネスのこの記事。これって、景気が良いときでも言われていたよね?バブルの時期だって、言われていたことですよ。要するに戦後日本の日本型組織というのは、人を「ビジネス機能の1つ」として見るのではなく、ビジネスの場にいる「なんでも屋」を志向していたんです。多機能だったり、単機能だったりのロボットですよ。だから、組織の上司が有能である必要はなかった。そして、ぼくは「劇場型」と言うのだが、関わった人全員が舞台の上にあがって、初めてビジネスが成り立つように構築する。仕事の合理化のために、在宅勤務が進まないのも、通勤ラッシュがなくならないのも、そのためなんですよね。日本のビジネス慣行は、戦後、「工場の工員」「工場の事務員」「営業人員」という人たちが、同じ場所、同じ時間に舞台の上に上がって、そこでやっと始まる。それをまとめる役目は「経営者」なんですね。オーケストラのコンダクターだね。

欧米型のビジネス慣行は「機能型」で、人ひとりが持つ「機能(function)」に注目し、それをモザイクのように組み合わせて、ビジネスを成立させる塊を作る。モバイルがビジネスの中に入り込み、「ロボット」「人工知能」はそういう「機能型ビジネス組織」に最適に作られている。だから、組織の管理職はそのしごとを小さなところまで熟知した有能である必要がある。

日本の「舞台型」ビジネスは、「場」という地域的な概念と「時間の同期」という、時間的な概念の交錯する地点を、どうしても必要とするため「機能型」のビジネス組織に比べ、人間の移動などのコストがかかる。現代においては、このビジネス構築は古いビジネス慣行に慣れた人たちからは「人間味がない」「それでは組織の運営は不可能」と言わしめる。

しかし、ぼくらだって、いつのまにか、意識しなければ、和服を着ることはなく、洋服で暮らすのが当たり前になっているんだよね。ってことはさ、ビジネス慣行も、「お金」という基準で全てを考える事になっているわけだから、遅かれ早かれ「機能型」に移行せざるを得ないのです。具体的に言えば「舞台型」の組織は、その高コストによって、低コストの「機能型」に、淘汰されていく、ってことです。「水は高いところから低いところに流れる」のだから、この物理法則には、何人も逆らえない。つまり、一瞬でも速く「劇場型」から「機能型」の組織に変更していかないと、日本のみならず、あらゆるビジネスが淘汰されていくんです。

この記事にある「当事者意識」ってのはさ、要するに「舞台型組織」における、舞台の上で行われる役者(ビジネスマン)が、役者になりきれるかどうか?ってことね。つまり「カントクの言うことをしっかり聞いて、そのとおりに動けるロボットになりきれるか?」ってことです。そういう人は劇場型組織の中にいるしかないです。そこしか居場所がありません。これは経験とか個人差とかがあることで、どちらがいい、とは言いにくい。でも、機能型の組織のほうが、「低コスト」であるのは論を待たないわけですね。つまり「機能型組織」はコストの面で明らかに「劇場型」の組織に優位にあります。

しかしながら、人が同時に同じ場所に集まらないとできない仕事ってあるわけです。土木工事なんかですね。これはロボット化していくことで、人員削減、というよりも「人手不足」に対応していく。こういう組織は「劇場型」でいいんです。それでも「機能型」の影響は受けていくんだね。組織の根本である「劇場型」は変えることができないんだけれども。

日本の戦後経済を多く支えてきた「製造業」は、国境を超えたサプライチェーンで成り立つ世の中に変わったんです。すでに垂直統合(ネジ一本まで自社生産)というのは、淘汰された後です。だから、「劇場型」から「機能型」に組織が移行できないと、淘汰されていく。

日本企業の組織論は、戦後最大の転換点をここに見ているんだと思うのですね。ぼくはね。