OFF THE HACK!

Ver 7.0 by NORIHIRO MITA

キャッシュレス撤退。

もう10月終わりになる。「これからはキャッシュレスの少額決済サービスだ!」とばかりに政府も音頭をとったつもりになって、騒いでいるものの、実際に決済に使われているのは現金が8割という統計も見た。実際に動いてみればシステムトラブルも多く、コンビニ大手はそれで失敗。現在動いているキャッシュレスシステムの弱さが浮き彫りになった例は数知れない。消費者から見れば、キャッシュレス決済が乱立し、何がなんだかわからない状況になっている。結局は現金持ってりゃどこでもなんとかなるし、キャッシュレスと言うなら、従来のクレジットカードで十分。混乱が混乱を呼び、リーダーシップを持ってこの混乱を抑え込む力も、もうどこの機関も持っていない。

日本のお金のシステムは、過去明治以来100年以上の長きに渡って培って来たものなので、それを崩すには数年では足りない。日本が経済的に豊かであった時代に、ふんだんにお金をかけて、崩れないシステムを、試行錯誤もやって、多くの実力ある人たちが作ってきたのだ。そのシステムは数カ月で崩れるような軟なものではないのくらい、わかっていて欲しいものだ。そのため、日本人の多くはこのレガシーな通貨システムに万全の信頼を置いている。

新たにできるものの前には、もちろん古いものが横たわっている。世界的な流れで、新しいシステムに移行するのが急務であることを認識した上、強大で強固なレガシーなシステムといかに戦い、崩していくか、ということをしなければならなかったのだが、そこまでの認識と覚悟が、関係者には持てなかったのだろう。

期間限定のポイントのバックくらいで揺るぐようなものでは、それはなかった。それは、もうわかったことだろう。誰の目にも明らかだ。優れた先人の、長い期間の汗と努力の結晶であるレガシーな通貨システムは強い。いや、強大で、ちょっとやそっとで変えられるものではない。

「キャッシュレス」。それは、例えて言えば日本の政府にとって、第三次世界大戦に匹敵するほどのたたかいである。そしてその強固で強大な敵は、今度は、自らの内側にいる。

第二次世界大戦の中の太平洋戦争で、強大な米国を相手に戦ったとき、敵を良く知る、連合艦隊司令長官・山本五十六はその知見から「2年は戦える」と語ったという。

キャッシュレスは、既に敗北の白旗の端っこが見え始めた。この戦いは、あと何年かかるのか?その後、誰が勝利するのか?

昔も今も、同じである。「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」。安易に物事を考える思慮の浅さと、大局的なものの見方がないのであれば、この戦には、敗北しかない。

関係者の皆様。時は既に遅い。撤退作戦に入る時期だ。これを間違えると、被害は更に大きくなる。そして撤退作戦は侵攻作戦より難しい。生き残ることを願ってやまない。覚悟して対処してほしい、と思うばかりだ。



失せ物探し

どうも、カメラを取られたか?あるいは落としたらしい。どなたか、発見したら教えてください。黒い百均の袋に入っていて、カメラと一緒に、シューにつけるアクセサリも、半透明のポリプロピレンの小さな箱に入ってます。すみませんが、見つけたら教えていただければと。

2019年10月19日。見つかりました。ありがとうございました。

で、前から気になっていた「撮像素子前のゴミ」が映り込むのを販売店で確認。そのまま入院となりました。同時に、普段使いのPCの画面に謎のサークルが出現。これも、同時に入院。両頬うとも、同じ秋葉原の巨大量販店での買い物だったので、同時入院。なんか凹みます。。。。

I lost my Camera.
I searched for the camera any place, but I cannot find it.
— At 2019/10/19 : I fond it. thanks.

 

 


 

「おっさん」には価値があるか?

「おっさん、って案外役に立つじゃん。バカにしてたけど」。っていうのは、簡単にいえば、「おっさん」というのは、高度経済成長期にふんだんにお金を使って育てられてる「ニッポンの人材」に他ならないからだね。違った環境に放り込まれて、途方に暮れていても、しばらくすると適応して動き出す。初動は遅いが、動き始めると後ろを振り向かず、まっすぐに前を見て進む。そういう身の施し方を知っている人が多い。だって、転勤だとか部署変えだとか、景気のいいときはしょっちゅうだったわけですから。

まぁ、この時点で、適応力の低い「おっさん」は淘汰されるので、実力がないおっさんはここでいなくなる。で、残ったおっさんも必死で動き始める。結果として、若い人間以上の力が出てくることもママある。老害と言われるのは、能力がそれなりに高いので、若い人間に無能と言われつつ、そのポジションで力を発揮しているからであって、どんな年齢であろうと、力がなければ、いなくなるだけなんだよな。その力の正体を、年若い人間は見抜けない。経験がないからね。だから、自分の仕事を邪魔する対象にしか見えない。極楽トンボには極楽しか見えていないからね。でさ「老害」って言っちゃうわけですね。まぁ何事にも「存在意義」があるから、そこにいるんであってさ。

最近「おっさんずラブ」とか、その手の「おっさん礼賛もの」が増えてきてるよね。冷徹に言えば、若い人間の数が少なくなるので、社会を支える労働力としての「おっさん」の価値が相対的に高くなったんだな。これは「おばさん」もおなじでさ。

かつての高度経済成長期には、ロボットのように働く人間が大量に必要だったんだな。文句も言わず、ひたすら言われたことだけをやって、余計なことをしない、ね。でも、今はそういう仕事はホンモノのロボットのほうがうまくやるし、安い。そこで必要になるのは「ロボットのような人間」じゃないわけですよ。

必要なのは「ロボットに、何をしたらいいかを指示する人」「それを考える人」なんだな。そこで、高度経済成長期に、ロボットのように働いて来て、それでも人間だから「なんで俺たちはこういうことで働かないといけないのか?」って疑問を持ちつつ、働いていた「おっさん」が、ロボットのように働きつつ、その懐に隠し持っていた「懐刀」を抜いたんだよ。ホンモノのロボットではなくて、人間であったがゆえに、そういう多様性を隠し持って生きていたんだな。

その懐刀ってのは、何も物騒なものじゃなくて(いや、物騒なものを出すおっさんもごく一部に、いないわけじゃないけど)、僕らが本来は「何をしたらいいのか」という、根本的な問に対する、自分なりの「こたえ」がそこにあるんです。それを持っているんだね。それを「懐刀」と言ってるわけだな。

もっと平ったく言えばこの日本の社会は急激な「少子高齢化」と「世界的な製造業の不況」で「人口減少」が始まっているので、ヒトという種が生き延びていくためには、猫の手も借りたい状況になっていて、おっさんもまっさきに引っ張り出されて来た、ってことなんだよね。からだが動くなら、だけど。

よく言う「フリーライダー」も、そういうものが基礎にあるわけ。「誰だろうが、人間であれば遊んでる場合じゃねぇ」ってことだな。それくらい、人間という種の「危機」が目の前に迫ってる、ってことだよ。

定年になった「おっさん」も、休んでる場合じゃなくなった、稼げ、ってことね。これはさ、「人間社会」でも、一国の問題ではなくて、人間という種の問題なんだよ。だから「おっさんに負けてたまるか」という話ではまるでない。このさい、おっさんに頑張って働いてもらうために、持ち上げておかないとまずいぜ、ってことなんじゃないかと。

台風一過

Enoshima

台風19号が来た。そして去った。今日は湘南の台風一過。昨晩の緊張感がいっぺんに解き放たれた、という感じも一緒になって、気分がいつもの休日とは違う。まるで、この気持ちいい風を受ける至福のときのために、昨晩の台風の命をも削る緊張感があった、という感じさえするほどの快晴と、少し強い湘南の風。小坪のマリーナはまるでサンフランシスコのマリーナ地区のような気分さえする。

とりあえず、史上最大と言われる台風の上陸地に近いこの湘南の海辺で、たいした被害もなかったのは、それだけで幸運というべきだろう。

実際、この地域が津波などに襲われたら、大きな被害があることが想定されている。いま、甚大な台風の被害であえいでいる人たちのことは、他人事ではない。それが湘南というこの地域でもある。

東京から1時間ほどのこの地域は、風光明媚で海と山が楽しめるところだが、その裏に回ってみると、自然が豊富なだけ、自然の災害もまた多かった地域でもあることが、歴史を見るとわかる。サンフランシスコのマリーナ地区はビクトリア調の多くのコンドミニアムが並び、ここに住むことは、サンフランシスコ住民の憧れだった。しかし、1989年の大地震では、この地区は長く続く火災に見舞われ、地面の液状化もあって、多大な被害を出した。

良いことと悪いことは、全くコインの裏表だ、ということが、よくわかる。良いことがあったら、気を引き締め、次なるクライシスに備える。悪いことがあったら、次の良いことの前兆だと思って、暗い洞窟を進む。

釜山に来てみたら?

釜山ってこんなところ

日本の現政府と韓国の現政府とはいろいろあるようだが、韓国という前に、朝鮮半島と日本列島は数千年の交流があり、それぞれが「近代国家」となってあれこれ動き出したなんて、長く見てもたかだか数百年のことに過ぎない。このところのいざこざの期間なんて、実際のところ100年もたっていないことでしかない。であれば、このあとの数千年も今と同じ、ということはまずないだろう、というのは予想がつく。

しかし、飛行機から見ても、地形的にも、釜山というところは、米国のサンフランシスコに似ているかもしれない。入り組んだ地形で海があり、都市があり、その背後には山がある。そして、その所々に、人が住んでいる。風光明媚で、海を楽しみ、街歩きも楽しめるだけでなく、山歩きも楽しめる。

日本の対馬が近いので、晴れた日には、釜山港から対馬が見える。釜山から西に40km行くと、そこには「馬山(Masan)」という都市があり、現在は昌原市(Chagwon-si)の一部になっているが、古い港町だ。そこは対馬に一番近い。戦前は、対馬の人たちは、映画を見に、船で馬山にやってきていた、という。地名が「馬山」で、その対岸だから「対馬」という名前がついたようなのだが、いずれも風光明媚なところだ。馬山は、かつての元寇の基地になったところで、 日本統治時代の領事館や憲兵隊の事務所なども残っていて、日本語の説明プレートもある。 近くに鎮海という軍港があり、そこは旧日本海軍の基地でもあった。昔から良港で知られたところなのだ。現在でも日本の巨大企業(ほとんど東証一部上場企業)の工場などが非常に多く、地元の人間の優良就職先として、人気も高い。

最近の釜山は近代化がすごくて、超高層ビルや超高層マンションもどんどん建っている。かつての港町、という風情もまた残っていて、なによりも、地下鉄各駅での表示をはじめ、日本語が非常に多い。乗り換えターミナル駅に近くなると、日本語のアナウンスも聞こえる。街の屋台でも、メニューが日本語で書いてあったりする。当然、日本語が使える人も多く、日本人が行っても、あまり不自由しない。釜山駅前などには「東横イン」なんかもあったりする。大阪や福岡などからの飛行機は往復で1万円前後なので、関西からは東京に出ていくより安い。

日本↔韓国間の観光客激減、というニュースがあり、飛行機も間引きスケジュールになっている、というのはその通りだが、逆に日本人の「釜山好き」は非常に多く、韓国の日本好きの人もいまだにたくさんいる。私が乗った東京→釜山便のエアプサン(LCC)の飛行機は満席に近かった。逆に、釜山好きな日本人は、この「乗りやすくて安い」この期間を利用して、どんどん韓国旅行を楽しんでいる。以前と同じで、人は人情味があり、もちろん、日本人だろうとどこの人間だろうと、別け隔てはない。過ごしやすい土地でもある。

そのため、日本人で韓国好きには釜山好きの人がとても多い。釜山の人も日本には親しみがある。釜山っていうのは、そういうところだ。

とはいえ、日韓政府間の確執の影響がないわけではない。釜山の金海空港のゲート内のセブン・イレブンは閉店していて、これが韓国系のコンビニの「CU」に変わる、ということなどだ。しかしながら、乗った飛行機の日本便は往復ともにほぼ満席状態だし、全体からすると「あまり大きな影響はないなぁ」というのが素直な感想だ。

実は、韓国情報を日本語で掲載している某ニュースサイトの日本語記事は「韓国での日本車の売上落ち込み」を報道しているのに、他の韓国内の韓国語のニュースサイトでは「今回の両政府の確執による日本車の不買運動はほとんど日本車の売上に影響がなかった」という記事を掲載しているなど、よくわからない報道の齟齬もある。実際、韓国内はもともと韓国車が多いのだが、ときどき日本車が走っていて「おい、あれ、ホンダのロゴじゃないの?」なんてのが、良くあったりする。実は韓国の現代自動車(HYUNDAI)の自動車のロゴは、ホンダの「H」のロゴを斜めにつぶしたような格好をしていて、逆に韓国内ではけっこう目立つ。

実際、私がホテルのテレビを見ていると、そのときのニュースの一番は、釜山を直撃した台風の話題で、これは日本の台風15号の被害をもう一度見る思いだった。二番目のニュースは北朝鮮の発射した「飛翔体」が「SLBM( Submarine Launched Ballistic Missile – 潜水艦から発射されるミサイル )」と発表されたことに対するものだ。日本の話題は、ニュースにはほとんど上がっていない。


「5Gデマ」のこと

いやぁ、あちこちに「5Gデマ」が広がっています。AFPでも、それでデモが起きたときか、そういう話があったりします。「5Gは有害な電波を出す」とか言っています。

実際のところ、電波通信の原理を知っていれば「5Gの電波だから」というようなことはなく、むしろ、1Gとか2Gの時代のほうがはるかに電波が強かったのに、ということになります。

え?「電波」と「電磁波」は違うだろう、って?「電波」って「電磁波」の略だから、同じなんです。「じゃ、電磁波ってなぁに?」ということだと、ぼくら電気系の工学部の大学では「電気磁気学」ってのを習ったわけです。「電気」が流れ、その変化がある(つまり波になる)と、その周辺には「磁気」ができる。「電気」の変化に伴って「磁気」ができると、今度は「磁気」の変化に伴って「電気」が流れる。これが連続して、空中なんかを飛んでいくわけで、これが「電磁波=電波」というわけです。

つまり、思いっきり簡略化していうと「電気があるところには磁気がある」「磁気があるところには電気がある」わけです。ということは、電気で動くものがあるところって「電磁波だらけ」なわけです。テレビだろうが、PCだろうが、洗濯機だろうが、冷蔵庫だろうが、みんな同じです。

あなたが電磁波の無い生活をしたいのだったら、まず周辺からスマホもPCも、洗濯機も冷蔵庫も電卓も、電気を使うものを一切排除すると完璧です。いや、「5Gが」って、じゃ、5Gがその前の4G/LTEとどう違うのか?ご存知ですか?良い面で言えば、5Gは4Gの千倍の通信速度が出ます。悪い面を言うと、その速度が速いから、スマホの基地局とかでは、もっとスピードが速く、もっと容量の大きな設備が必要になります。お金がかかるのです。でも、それだけです。だって、テレビ放送だって、ラジオ放送だって、4Gだって、5Gだって、同じ電波(電磁波)なんですから。

ちなみに、6Gの話ももう出ていまして、こちらは電波はもう使わなくなるんじゃないか?という噂話も流れています。「わからないから、危ないかもしれない」ということで言えば、6Gはそうかもしれない。でも、わかりませんね。実際のものがわかってくるまでは。

「PCでゲーム」は。。。しなかったなぁ。

確かに、ぼくもこの最初の頃のPCに触ったことがあって、欲しいとも思ったけど、思い入れはない。この頃はシャープも頑張っていたし、富士通のも日立のもPanasonicのもあった。海外にも大小様々なPCがあって、とても楽しかった。日本はいまだ高度経済成長期の終わり近くで、繁栄もしていて、剥落した今の日本から見たら、ノスタルジーを感じるには十分すぎる環境だったと言っていい。

PCはあくまでぼくが子供の頃の、人生設計のために触ったものだったから、いろいろ熱中はしたものの、ゲームは時間の無駄と思って、やっていない。だからPCには「愛機」というような感情は持ったことがないが、ぼくの立場からは、おもちゃとも思わなかった。良き子供時代を思い出すアイテムでもなく、現在の自分には、こういったミニチュアに心動かされるということは、まるでない。

まぁ一般的な子供ではなかったよなぁ、と自分のことを思い出すばかりだ。ぼくは子供の頃から、コンピュータを触るとき「これで世の中がどう変わっていくか」がすごく楽しみで、ワクワクしていて、それで十分だったから、こういうおもちゃとしてのPCに興味が湧かなかったんだろうな、と思うよ。

だから、子供の頃から、「パソコン少年」みたいに思われるのはすごくイヤだったし、そういう子供の感性は、明らかにどうでも良かったのだが、ぼくを「パソコン少年」と勘違いした人たちがいっぱい寄ってきたのは覚えている。そういう人たちは、そういうぼくの力を無料に近いお金で買えると勘違いした商売人と、パソコン少年そのものの大人が、自分の仲間だと思ってやってくるかのどちらかだったんだが、ぼくはその両方のどちらとも親近感を覚えることはなかった。冷たい目で彼らを、どう使えるかだけを考えていた。

孤独ではあったけど、自分なりに未来を見据えた話をしていたので、楽しかったけどね。でもそれって、PCに関しては「同じおもちゃで遊んだ」という記憶や、その記憶に依拠する仲間意識ではなかったわけでさ。そんなことは、長じた今でも、どうでもいいことだと思っている。

ぼくが子供の頃から好きだったのは、変わっていく人間であり、人間社会だったのであって、モノとしての「おもちゃ」ではなかった、というだけのことなんだがね。

充電の森

香港の空港で

なんというか、いろいろな機器が増えてくると、USB充電の機器も増えてきて、USB充電のためのUSBの口の多さには閉口する。私の自室で、20個では足りなくなってきた。これでも、ずいぶん減らしたつもりである。本人は。

自室に戻ると、まずはカバンの中からスマホだとかデジカメとかモバイル充電器とか、とにかく思いつく限り取り出して、充電ケーブルにつないだり、Qiiのボードの上に置く。この作業だけで、30分近くかかることもあるし、出し忘れて翌日充電不足ってこともある。

さらに、翌朝には充電器から必要なスマホなどの機器を外し、カバンに入れる。毎朝である。もちろん、持っていき忘れることもある。

こうなると、健常者でも、物忘れなんてのは日常茶飯事になってくる。さらに、高齢化が進んで、新しいことを頭に入れる、ということがだんだんできなくなってきたときは、どうするのだろう?と疑問が浮かぶ。

そして、こういう機器はどんどん増えていくのだ。そして、自分を含めた多くの人は確実に歳を取る。

いま、私の部屋は「充電の森」になっている。

「情報の自由」の世界の「陰謀論」について

江ノ島西海岸から

最近、文化的な齟齬が起きる場面を多く見ている。インターネット、その上で動くSNSなどの「横の情報網」が世の中にあまねく広がったため、そのネットワークから漏れる人には、全く情報が届かない、ということも一方では起きるものの、社会人として普通に生きている人は、それまでは経営者や管理職、政治家などの一部の人が知りえていた情報が手に入る、ということも多くなってきた。

しかし、経営者には、経営者という立場でのお金の使い方や考え方があって、政治家にしても、政治という世界での立場やその立場による考え方がある。また、これは官僚などにも言えることだけではなく、多くの違う立場の人がそれぞれに持っている「立場」から見える「世界」が違うのだ。

だから、違う立場の人間の情報をある立場の人が得ても、全く役に立たないか、あるいは、余計な「下衆の勘ぐり」なども出てくる、ということがある。

たとえば、経営者は常に社員の給与の心配をし、どんなに短くても数ヶ月先を読んで資金繰りなどを考える。「お金」の心配は、自分のことだけではなく、社員のことも考えないとやっていけないし、外部の会社などへの支払いが滞れば、それだけで「倒産」だって十分にある。そうなれば、社員全員を経営者は敵にせざるをえない、場合によったら外部の業者も敵になる、という事態だって起きる。しかし「社員」は、毎月の給与が入って来ることを前提に家族も含めた生活設計を立てているわけで、毎月の給料としてのお金が入ってこなくなる、ということは、まず考えることはないし、考えたところで、どこからか会社1つをなんとかできるほどのお金を持ってくる人脈なども通常はありはしないだろう。

要するに「立場が違えば、入ってくる情報も違う」のであって、たとえ立場の違う人の情報が入ってきても、その情報をちゃんと理解して、自分の行動に反映も、普通はできない。立場が違うとできないのであって、どちらが頭がいいとか悪いとか、そういう話ではない。

しかし、現状のインターネット、SNSの世界では「情報は平等」である。情報を受ける側の立場の違いは、一切考慮されず、情報が一方的に入ってくる。そこで、「自分が理解し得ない情報」も入ってくる。そこで起きるのが「あいつはなんか秘密のいいことをしているらしい」という「下衆の勘繰り」である。自分の立場では全く理解できない情報の束の中でそれをなんとか理解しようとする。しかし、立場が違い、持っている経験や背景、知識が違えば、当然、異世界の情報などわかろうはずがない。しかし、それでは納得がいかない、というモヤモヤしたものが残ってしょうがない。そこでそういうモヤモヤを持つ人に都合よく作られた話を使って、とぎれとぎれになった情報をつなぎあわせる。

あまりきれいな話ではなくてすまないが、どこかの草原とか森の中に、犬の死体とイノシシの死体がちらばっていたとしよう。犬もイノシシも知らない人がそれらをつなぎ合わせれば、よくわからない「怪物」ができあがるだろう。そして、つなぎ合わせた人は言うのだ「これが私もあなたも知らなかった怪物の正体だ!」と。これが「陰謀論」である。

かくして、モヤモヤは解消するが、真実はよりいっそうわからなくなってしまう。陰謀論が独り歩きする。犬とイノシシの合成された姿が世の中に「実在する珍獣」として、広まってしまう。別のところで、猫とネズミの死体を継ぎ合わせて別の「珍獣」ができ、犬とイノシシの合成珍獣と猫とネズミの合成珍獣のたたかいが、なんていう話の尾ひれがついて、と、もうその先は「陰謀論が陰謀論を呼んで。。。」という世界になってしまう。

もう数年前になるが、いわゆる「STAP細胞騒ぎ」があったとき、私も分子生物学の世界に一時いたことがあるので、興味深くその話を聞いた。そして、世の中にこの種の「わけのわからない陰謀論」がいかに多いかを知った。

「陰謀論」はつまり、こうやってできる。それは情報の平等に交通整理が間に合わなかったこんな時代を象徴する出来事だったのかもしれない。



走って来た。

江ノ島

僕の場合は、なんだが、どうも他の人とメンタルが違うなぁ、と思うことが多くなった。誰も羨むことがないし、誰も尊敬していない。目標にする人間像もなく、とにかく自分が求めたものに対して、ただただ突っ走っていく。周りの目を気にしたことがない。いや、最近は少しは気にするようになったんだが、まるで気にしていないように見えるらしい。ごめんなさい。悪気もないし、何か企んでいるわけでもなく、ただただ目標を定めて、突っ走ってるだけなんですよね。好きなことができれば、それだけでとても満足なんです。

気がつけば「先生」と呼ばれる立場にはなったんだが、別にどう呼ばれようと気にしていない。自分の好きなことができれば、それだけで幸せなんですよ。だから、社会の中での自分の立ち位置は、垣間見ることはあっても、こだわったことがない。どうでもいいんです。自分の好きなことができれば。

だから、立身出世なんてのは考えたこともない。博士号はなく、修士もない。勉強で頑張って、という記憶がない。好きだったからやっただけだ。でも外国の大学の教授にはなったことがある。好きでやったことを他の人にも勉強してほしくて、それが本になって、100万部以上売れたこともある。たまたま好きだからやってたんだよね。今でもお金があるとは言えないけど、好きなことは欠かさない。

何かに反抗しようとしているわけでもなく、人より良い立場にいたい、ってこともない。好きな時に好きなことができればいいんです。人生の充実ってのはそこにあるから、と思っているからだね。だから、キャバクラ行きたいとか、いい酒が飲みたいとか、そういうものってないんですよ。それが楽しいというのではなく、それはあれば楽しいんじゃないかなぁ、とは思うけれども。行ったことないけれども、そういうものを目標にしているわけでもない。

ぼくのメンタリティってこれが普通だと思っていたんだが、多くの人は違うらしい、ってのは、最近わかってきたよ。でも、よくこの歳までこの感性でいられたよなぁ、とも思うよ。とにかく突っ走る。それが全てなんだね。まぁこういう人間もいる、ってことでね。

だから、常に生き生き、伸び伸びしてるんでしょうね。人間が単純だから。それが、なんか優越感を持ってるように見えることがあるみたいなんだね。好きなことだから、自信持って話すしね。

だからよく思い出せば、凹んだこと、ってないです。強いて言えば、昨年母が死んだり、いろいろなことがあった時なんだけど、仕事では凹んだことない。好きなことができてるからだね。で、あいつを凹ませてやろう、あいつより優位に立って、言うことを聞かせよう、って人がいるんですよね。ぼくのことをね。でも感性そのものがもともと違うので、今までそう言うことに成功した人は誰もいないんですよ。

そう言うことをぼくにしようとした人は、みんな途中でサジ投げちゃうわけです。その人からぼくを見ると、異世界の異星人みたいに見えるらしいんだね。最後はね。実際それに近いのかも知れない。

お世話になっている人には礼を尽くすのは当たり前なんだが、自分なりのやり方なんだよね。だから、それが見えない人には、おそらく永遠に見えないんでしょうね。そういう齟齬ってあるなぁ、と思うし。これは悲しいことだけど、どうしようも無いです。ぼくも。

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