Ver 7.0 by NORIHIRO MITA

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HDD廃棄の定番の方法

IT関係ではいろいろな仕事をしてきたのだが、その中には「データ廃棄のお手伝い」もいくつかあった。しかも、重要なデータの入っているHDDをこの世から完全に抹殺してくれ、という、ゴルゴ13も真っ青、というミッションをいただいたこともある。

で、やり方はというと、実はそんなに難しくない。必ず、物理的に壊すのが一番良いことは言うまでもなく、どこかで、HDDを読まれないために、ドリルで穴を開けた、という話がどこかであったが、要するにそれで十分である。

しかしながら、そのHDDが数個、という数量であれば、一つひとつ、それでOKだが、数百個、ともなると、かなりの労働である。ドリルで穴あけと言っても、大きな穴を開ける必要はなく、それこそ1mmの穴でも、その穴が円盤を抜いていれば、HDDは復元不可能になる。

とにかく、HDDの筐体の中に、直接外気に触れるところを作るだけで、HDDは読めなくなるものだが、見ているほうは不安だろうとは思う。心配であれば、円盤を抜く位置に、ドリルの穴を開けると良い。

壊れてもうどうしようもないHDDを壊す、なんてのは、個人の興味本位でやったが、この際に内部から取り出すことができる永久磁石「ネオジオマグネット」は、超強力で、冷蔵庫にカレンダーを貼り付けるのに重宝する。ただし、あまりに強力な磁石だから、貼った磁石を取り出すときには、指をはさんで怪我をする可能性もあって、それは気をつけたほうがいい。本当に非常に強い磁気を持っているので、キャッシュカードやクレジットカードの磁気ストライプなんかは、近づけると簡単に破壊されるので、これも気をつけよう。いすれにしても「磁石好き(そんなのいるのか?)」には嬉しい、超強力磁石である。繰り返すが、本当に強力なので、小さな子どもでも、冷蔵庫の表面に直接張り付いたこの磁石を剥がすのは大変で、うまくからないと、怪我をする。面白いものではあるが、気をつけて扱う必要がある。

それはともかく、HDDの完全な破壊、というのは、大きな問題だが、内部のデータを完全に上書きして、完全消去する、というソフトウエアも売られている。心配であれば、このソフトウエアでデータを消去してから、物理的な破壊を行う、というのが「完璧」だろう。

なんでも「クラウド」

これから、Windows10をはじめとして、すべてのOSは、クラウドの後ろ盾が無いと動かなくなる。そういう流れが来ている。データは全てデフォルトでネットワークの向こう側にあるサーバーに入る。この仕組みによって、HDDが破壊されてもデータがクラウド上に保全される。そしてそのデータはデジタルフォレンジックの対象になる。ということは、物理的にHDDを破壊してもデータは残る、という、大変に安全なデータ保全ができるようになる。

今回のヤフオクに神奈川県の住民データがいっぱい詰まったHDDを出品した男は、出品以前にHDD内データをどこかに(例えば国外に)コピーして流出させていないだろうか?クラウドのバックアップを自動的にするPCに一度つなげて、その男さえ知らないうちに、接続されたHDD内のデータの一部でも、それがネットワークの向こう側にあるサーバーにコピーされていないだろうか?そのサーバーは国内ではなく、国外にある場合だってあるのだ。

その男が、会社からHDDを持ってきて、夜に自宅のPCに接続する。内容をあらためるのは明日にしよう、と放置しただけで、そのHDD内のデータはクラウド上のサーバーにコピーされることもある。そこまで調べて問題ない、と言うことをちゃんと確かめたのか?

当然、ヤフオク出品前にその男はHDDの中身を見ているはずである。であれば、こう言うことも起こっていて不思議はないのだ。

ITインフラ屋の嘆き

まずは、日本のIT業界のゼネコン構造の頂点の2社に、大きなトラブルがあった12月初め。

●50とも言われる地方自治体の業務サーバーが吹っ飛んで、一部は未だに復旧していない。(NTTデータ社の公式発表記事)

●神奈川県の住民データが大量流出。(朝日新聞記事)

最初の記事はNTTデータ社、後者は富士通であると、記事中にははっきり書いてある。

前者は、つながりははっきりわかっていないものの、サーバーに使っていたシステムのストレージに使われたSSD(最近は銀行などの基幹系でも、トランザクション速度向上のために、ハードディスクではなく、SSDを使うことが多くなった)のトラブル、ということになっている。つまり、重要な部品のトラブルである。

後者は「下請け会社がやらかした」のはわかるが、そんな下請け会社になぜ重要な仕事を任せたのか?その経緯は?ということが問われる。今後は、元請け会社から下請け会社への仕事の発注にも、元発注者が制限をかけ、監視を強めて来るかもしれない。既に、問題のHDDをオークションサイトで落札した方のインタビューとか、実際にやらかした社員の処遇とか、公のニュースに載りつつある。

とは言うものの、日本のこの種のHDD廃棄業をまじめにやっている会社はいい迷惑である。なにもしていないのに「大丈夫か?」と最初から疑ってかかられてしまう。業務遂行や営業のコストも上がるだろう。ひょっとしたら、会社そのものが成り立たなくなるところも出てくることだろう。また、重要なデータの入っているHDDなどの廃棄は、その組織内で行うこと、などの規定もできることになるだろう。

上記2点、いずれも、ITのインフラ系のトラブルであるが、重要なところにはバックアップシステムが稼働しており、前者のトラブルはかろうじて回避できているところも多いだろう。後者の場合は「情報漏えい」であるから、技術力の問題ではなく、下請け会社の信頼についての問題であり「人間系」がより色濃く関わってくる事案だ。

そして、前者、後者のいずれにも「システム開発コスト」が関わっている。簡単に言えば、「システム開発(そして維持運用)コスト」の削減が関わっているトラブルではないか?と疑われる、巨大な、日本という国の根幹をも揺るがすかもしれない、大きな事故である。

インフラの仕事というのは、ITでも同じだが、「見えないところ」に大きなお金がかかる。その中身を知らない生半可な知識の人間が「上」に立つと、実際には削ってはいけない予算を「見えないから」という理由で削ることがある。会社などの組織ヒエラルキー上、そのヒエラルキーの下にいるエンジニアは「上」の命令がいかに理不尽で多大な損失を被る結果を予測できるとしても、それに逆らって、自らの給与を減らすことはせず、それに従う。

通常は、組織ヒエラルキーの上に位置する役職は、その役職以下の仕事の良いも悪いも全て把握している必要があるが、日本ではそういう実効的な組織を作って運営していることは、大きな組織ほど数少ないのではないか?と、私には見える。

この「日本的な組織」がある限り、おそらく同じことは繰り返し起こり、そして、我々の便利なインフラは1つ1つ、信頼のならないものに変わっていくのではないか。そういう懸念を拭いきれない。

新しいことって言うのはこういうこと

Kamakura,Kanagawa pref./Japan

その昔、カメラがアナログのフィルムの時代、AF(自動焦点)や自動露出(AE)を使うのは邪道、などと言われていた。今はプロでも多くの枚数をこの2つの自動の仕組みを使い、多少アレンジは入れるのがプロ、ってことになっている。あくまで結果としてだが、その時代の口うるさいマニアは目のまえにあるものしか見えず、近い未来を見通してものを語ることができない人がほとんどだ、と言うことだ。

2003年にデジカメが高度化を始めた。そのとき、ぼくは今のミラーレス一眼カメラが多く使われるようになるのを予想して(当時はまだレンズ交換式のミラーレス一眼カメラはなかった)、ネット上のカメラ好きサークルに「これからはレンズ交換式の一眼レフみたいなデジカメが出てくる」と、投稿したが「そんなことになるはずがない」というネガティブなコメントばかりを多数頂いた覚えがある。いや、ほとんどそういうコメントばかりだった。ミラーレスになるのは必然、と書いたが、かなりのバッシングを受けた。その反対を言う人は、撮像素子の読み出し速度が遅いとか、長いあいだにできたクイックリターンミラーなどの素晴らしい仕組みがなくなるはずがない、というような、要するに「現在の環境」をもとにその論を構成しているものが、すべてだった。しかし技術は進歩し、環境は変るのである。であれば、100人の敵など恐れる必要はない、と、思い至ったのを覚えている。

「カメラのきむら」の社長は、あんだったかのインタビューで「写真の歴史100年が、デジタルで3年で変わってしまった」と言っていたのを思い出す。デジタルで仕事をしていなければ、たしかにこの変化は予測はできなかったのかもしれない。

大事なことは、一つ一つのテクノロジーではない。そのテクノロジーを使って、なにを実現することを考えているか?である。テクノロジーは「なにがなんだかわからないもの」を扱う「研究」ではない。「目的」があり、その目的を実現させるためにある。

ぼくの論理は当時は明確だった。

もともと一眼レフは、レンズを通して写るそのままの映像を見るためにできた。クイックリターンミラーもペリクルミラー(CANONが開発し製品に使った半透明のミラー。それを使った一眼レフは「ペリックス」という商品になった)もペンタプリズムも、フォーカルプレーンシャッターも、要するにその目的を達成するために考えられた技術である。であれば、その目的を達成できれば、他の手段や他の技術でも使って構わないのだ。デジタルカメラの時代には、映像は撮像素子で電気に変えられた瞬間から、電気信号になるから、フィルムに記録する映像信号を分岐させてディスプレイに表示すれば、一眼レフの技術で目的にしたその目的は達成される。クイックリターンミラーやフォーカルプレーンシャッターなどの精密で微妙な機械部分がなくなれば、カメラは安くなり、メンテナンスのコストも下がる。しかも性能は機械でできたカメラ以上になるはずだ。その時のネックは撮像素子の映像信号読み取り速度だけだったが、それは、新しい技術が解決可能なことをぼくは知っていた。しばらくしたら、SONYが高速度撮影用の超高速映像信号読み出しができる撮像素子をアナウンスした。準備は整った。

新しい映像の時代が動き始め、ミラーレス一眼カメラも今や一般的になった。ぼくが予想した未来がやってきた。

じゃぁ、ここからは未来を語ろう。

8kの時代には3800万画素の動画が当たり前になる。動画を撮れば、そのひとコマを静止画として十分な品質で取り出すことができる。

この時代のカメラはどうなるのか?この時代の映像表現はどうなるのか?これを考えてみよう。あなたとぼくで。

想像力を働かせ、論理的に物事を考え、出た結論に従って自分の行動を規定し、それでも細かい修正は怠らず、世の中の動きも見据えて、方向転換も迅速に行え。

それがあなたとぼくの将来を作っていく。

——–

思えば、日本は「技術では一番」で経済が回っていたが、それは、大きく崩れた。この現状もかつては予想し得た。日本という場所では「作れば売れる」高度経済成長期があり、世界中から「これを作ってくれ」というリクエストが多く、それに応えていれば食えた。今は違う。「何を作れば売れるか考えないと食えない」時代になったのだ。だから「XXが作れます」では食えないのだ。今の日本の製造業の仕事の肝は「何を作ればいいかを考える」ことである。その時代の始まりはおそらくSONYの「ウォークマン」だろう、とぼくは思っているが、その重要さに日本の多くの製造業者は気が付かなかった。

次世代の製造業は「なにを製造すれば食えるか」を考えるところから始める。より上流を考える必要があるのだ。

シン・クライアントのある風景

Engakuji Temple in Kamakura/Kanagawa-pref./Japan

シンクライアントって「Thin client」。thinは薄いって意味だから、端末は普通のPCよりも容量もなく、強力なCPUを積んでいるわけでもない。要するに目の前にあるPCで画面やキーボードがあることはあるんだが、ほとんどの処理を、目の前にあるPCで行うのではなく、ネットワークでつながったサーバー側でまとめてやるわけですね。こういう仕組みをシンクライアントって言うんだよ。

USBメモリーをPCに挿入して、データをUSBメモリから本体にコピーする。その時にコピーされる本体はネットワークを通したサーバーにあるっちゅうわけですね。ウィルスだなんだかんだは、サーバーでまとめてシャットアウトできちゃうわけですよ。表向きにはそう見えないようになってるんですけどね。

デジタルフォレンジック(Digital Forensics)ってのもあってさ、この仕組みで法律事務所は文書管理しないと、米国政府は政府関係の仕事をそこには出さないことに決めたわけですね。そーなるとだな、米国政府に関連する他の国の政府もデジタルフォレンジックしないと付き合わへんよ、てなことになるわけですよ。だから日本政府も日本の大企業もこれからデジタルフォレンジックしないとダメなんだよ。そう米国の連邦政府が要求してるわけね。

でね、このデジタル・フォレンジックをするために、シンクライアントはその前段階なんですね。そのためのシンクライアントなんですよ。

でさ、デジタルフォレンジックやるとさ、全ての文書はいつ誰がどこで起草して、何月何日何時何分何秒にその文章のどこをどう変えたかなんて全て記録に残る。ロールバックと言って、日時を指定すれば、その時点の文書が手に入る。文書の廃棄もできなくなる。これ、米国政府が日本政府にやらんとあかんよ、いうとるわけなんですな。ってことはさ、いま問題になってるあれとかこれってできなくなっちゃうんだな。つまりさ、この辺りのデジタル系の知識は、これから政治家だって企業人だって、上から下まで必須になるんだわ。知らないと大変なことになるんですね。それが世界の普通なんだわさ。「おれっちはパソコン弱くて」って人は、「ぼくは日本語ができません」と言ってるのと同じ、っちゅうわけなんだよね。大変な世の中になりましたなぁ。

「過去の日本」は帰って来ない

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経済を始め、あらゆる分野での、日本の存在感がかつてほどではなくなり、それが明確且つ広範に、やっと公知のこととなってきた。すでに数年以上前からこの事実は産業界では言われているのだが、ようやく日本国民一般の知るところとなった。「日本は衰退している」のである。

しかし、本当のことを言うと、それは、衰退ではない。「日本が一番良かった時代が終わった」だけであって、高度経済成長は「一夜の夢」であったのは、歴史を勉強をすればわかる。「あの時代」はいくら望んでも戻ってこない。威勢のいいその時代を知る高齢者がいくら頑張っても元には戻らない。

つまり、高度経済成長後の日本という地域はもとに戻った、のだ。かぼちゃの馬車がもとのかぼちゃに戻っただけだ。

では、この「日本という地域」を「近年稀に見る高度経済成長」させたのは、何だったのだろうか?私はそれは「世界的な製造業の産業革命以来の隆盛」「第一次世界大戦、第二次世界大戦の2つの戦争による大量殺戮と大量破壊による戦後復興需要」「冷戦の最前線の一歩手前という日本という地域の立地」が重なった、非常にラッキーな場所に日本という地域がいたからだと、私は思う。日本という地域の製造業は、第二次世界大戦後の50年間に隆盛をきわめたが、その夢はもう終わった。

日本人が優れていたということでもない。しかし、たとえ日本という地域に住む人が他の地域の人たちよりも優れていたとしても、日本の経済はもとに戻らないだろう。立地による「ラッキー」はなくなったからだ。

そして次の時代が訪れた。地域を拠り所としない「グローバル化」の時代である。この時代を作ったのは「情報」「もの」「人」の、地域を超えた動きであり、それが「価値」をもグローバル化した。その根底にはインターネットがある。デジタルテクノロジーを、世界の人々は全て平等、という哲学の下に結集させたのが、インターネットである。インターネットは政治やビジネスの道具にもなるが、根本的に「地域」を消滅させる麻薬、あるいは妙薬である。それが麻薬であれ妙薬であれ、インターネットは人類に新しい時代をもたらしたと言えるだろう。

人類は、かつて産業革命という新しい時代に、もちろん未経験で、創意工夫でなんとか対応してきた。そして今日があるのである。であれば、次の大きな変化であるグローバル化も乗り切ることができるだろう。

過去の経験は、だから役に立たない。過去を捨て、新しい時代に適応して新しい価値を作ってこそ、人類の明日がある。

「旧世代」と「新世代」

私は20年前以上のこの世界を日本も含めて見聞きしてそこで生活していた。直近の10年も見聞きし、そこで生活している。幸いなことに、現在も、かつてとは立場も役目も違うが、現役引退はしていない。だから私は、20年以上前の経験、言い換えれば日本の高度経済成長期の経験をした世代を「旧世代」と呼び、そういう経験をしていない人を「新世代」と呼んでいる。私はたまたまだが「インターネット」を日本に持ってくる仕事をした。直接的・間接的の両方で、だ。だから、私から見ると、「新世代」と「旧世代」を区別するキーワードは「インターネット」である。

これは私だけの見方ではないと信じているが、インターネットによって、「人」「モノ」「カネ」「知」のグローバル化・ボーダレス化に火がついた。最初はチョロチョロとしか燃えていなかったその火が、燎原を焼く火のように、瞬く間に燃え広がり、人類を覆った。その根底には進歩という名前の変化である「デジタルテクノロジー」がある。このテクノロジーを様々な思惑の人たちが、自分の都合の良いように解釈し、使おうとした。しかしそのデジタルテクノロジーを複雑に組み合わせて、インターネットを考え、実際に作って運用する人が出ると、インターネットは人類に大きな影響を与え始めた。遠隔地との情報のやり取りが、簡便で安価ですばやくできるようになり、人類の「地域による棲み分け」でバランスしていた社会が大きく侵され、新たな「グローバル」というコミュニティができて急激に成長するようになると、多くの「旧世代」の持つ考え方が「まるで意味のないもの」に成り下がった。

代わって「新世代の人類」が出現し、GAFAはその現代における、トップランナーとなった。

だから、この流れは誰しも抗することができない、人類の流れである、と、私は感じている。

そして今というときは「旧世代」と「新世代」闘争の時代である。かつてはイデオロギーで「東西」の闘争の時代があり、それに続いて、貧富で「南北」の闘争の時代があり、今は「ローカル文化(旧世代の文化)」と「グローバル文化(新世代の文化)」の闘争の時代である。「東西」「南北」ともに「地域」の対立であったが、現在は「ローカルとグローバル」の対立である。この戦争は、やがて「新世代」の勝利に終る。もしそうでなければ、人類の未来はない。しかも「旧世代」はこれから早いスピードでこの世から消えていくのだ。

若い人たちは「グローバルな新世代」という「革命軍」に、嫌でも所属する。ただ、それを自覚している若者は少ない。かつての「視覚的にわかりやすい」戦争のようなドンパチではなく、じわじわと変わっていく人の頭の中での、それは戦争だからだ。

インターネットは人類の在り方や存在意義を根底から変えていく役割を担って、この人の世に産まれた。地域というくびきを解き放ち、新しい人類の生きる意味を人類全体で考える道具にそれはなった。これから、地域に立脚した汎ゆる文化 ー例えば宗教などもその一つだー を内部から崩壊させていくだろう。

既に、旧世代の敗北は決まった。かつての産業革命はそれまでの人類が経験したことのない大きな変化で、その時代を想像するに、今と同じようなことが起きていたのだろう。であれば、人類は今回の「新しい環境の変化」に、柔軟に、かつ、古い自分を壊し新しい自分を作る、という覚悟を持って臨めば、人類の次の時代が開けるだろう。

それができる人が「新世代」である。そうでない人は「旧世代」に属する。それだけのことだ。頭をフルに働かせ、予期せぬ新しい変化、経験も役に立たない変化に、過去の経験などは捨てて、過去の自分も捨てて、臨むべきことに臨むのが、人類の人類たるチカラの発揮どころである。

もしもあなたが、悲しいことに「旧世代」を自覚しているのであれば、あなたのやることは「新世代」と戦うことではない。負ける戦は最初からやらないことだ。敗北を認め「新世代」の肩を叩き、「ぼくはもう疲れた。キミたちに全てを任せる」と一言言って、戦場を諦め、戦場を離れることである。

そうしなければ、旧世代のあなたは「新世代」から「悲惨な最期」を与えられるのがオチだからだ。

私はまだ「新世代」と「旧世代」の橋渡しの場所にいる。しかし、この立場も「旧世代」がなくなってしまったら、居所がなくなる。ベルリンの壁が崩壊し「東西冷戦」がなくなった時と同じことが起きる。おそらくそれは、もうすぐやってくる。この仕事からぼくが開放されたら、ぼくは何をしようか?今から「定年後」を考えている。

キャッシュレスの大混乱

外に出ると最近はドトールコーヒーとか、タリーズコーヒーとか、スターバックスなんかのカフェを使うことが多いのだが、こういうところでは、自社のポイントカードと他の会社のポイントカードが使える。でも、こういったポイントカードの併用はほとんどできない。二重三重でポイントを取られるのが問題になるのと、禁止事項なども増えて、システムが複雑になりすぎ、開発側がその複雑さに対応できない。システムができたとしても、使い方も複雑にならざるを得ず、使う側の店舗のアルバイトの人も複雑さには対応できない人が多いからね。

それができたら、お店のバイトじゃなくて、開発側になれるわけですよ。そして客も当然その複雑さには耐えられない。こんな世界に誰がした?って感じだが、おそらくこのままでは、同じことが、介護福祉なんかでも始まる。となると、サービスを受ける被介護者は、複雑に絡んだ抽象的思考ができる人でないと無理だなぁ。そういう被介護者ってどのくらいいるんだろうなぁ。これって、まだそんなに大事になってないことなんだが、実はすごく大きな問題になるんだよ。気がついてる人は、とても少ないけどさ。

更に加えて、なんだけど、最近はバーコード決済とか、ポイントカードのスマホアプリ版とかリアルなプラスチックのカードが併用できたりできなかったりとか、店舗チェーンプライベートのポイントカードとか、まぁ乱立状態で、金はなくてもカードでサイフがいっぱいになるわけざんすよ。

で、スマホにアプリカード入れると、どれがどれだかわからん。アイコンいっぱいで間違えて押すと、さらにおかしなことになったりする。この前なんかセブンイレブンでdocomoのdポイントカード出したら、あ、違うわ、とか、ヨドバシカメラでビックカメラのポイントカード出して「これ違います」とか言われたりね。でさ、たくさんあるカードをズラッと店頭で出して、この中でこのお店で使えるもの使ってくれんかな?みたいなおじいちゃんもいるわけですね。

僕はそういうことはやってないけどね。店員さんをカードのランチャーとして活用するわけです。で、店員さんもわからないので「店長〜」とかなって、レジ大混乱になるわけね。みんなやらないでね。ったく、どこが「便利で簡単」なんだかわからんね。

バイトに複雑なことさせたらだめでしょ。

弱視の人とかどうするんだろうね。こういうのもインターフェイス統一して、アプリ一つで勝手にどのカード使うかとか、そういう仕組みはできるはずなんだが、誰もやろうとしないわけね。システム開発というのは、そういうカネにならないところをカネにする、っていうビジネスの仕組み作りができる人がいないんだわ。だからみんなバラバラにやり始めるので、こういう惨状になるわけですね。

スタバでドトールのカード出すとか、タリーズでnanaco出すとか、わざとやる人もいたりして、見てるとおもろいんだが。いや、ぼくはやってないけどね。

「便利で簡単」が、無秩序にたくさんできると「不便で難しく」なる。当たり前だと思うけど。かといって、いまさら秩序は求めようもないわけで。それがバーコード決済やポイントシステムの現状だねぇ。

スマホをめぐる世代の断絶

ぼくらがインターネットを日本に持ってきた頃って、1980年代終わりくらいなんだが、このあたりでは、時代の流れも遅く、新しいものの流行り廃りって、だいたい数年単位だったんじゃないかと思う。今はそれが数日単位くらいに速くなっていて「世の中ってものは10年位じゃ変わらない」くらいに思っている世代には明らかに「ついていけない」時代になったように思うのだ。

それが良いとか悪いとかではなく、そういう時代に変わった、というしかないが、ついていけない、と思っている人はやはり多いのはしょうがないだろう。特に、携帯電話(ガラケー)の時代から、今はスマホの時代に変わった昨今にあっては、職探しから恋人探し、飲み会から勉強、学校選びまで、全てがスマホを通したインターネットの時代に変わった。そのことをがわかっていないと「デジタル・デトックス」をしたとたんに、清々しい気分になるのではなく、なにもできない窮屈な感じが出てきたり、開放感も得られなかったりする。

あくまで結果としては、だけれども、自分はインターネットを日本に持ってきた一人だが、人生の暇つぶしは全てインターネットの中にあるか、それをきっかけとする、という時代に急激に変わった。ここまで急激に変わると、ついていけない人も多く、そういう人たちで集まりを作って、古いものにノスタルジーを感じる人も増えたが、ネット上でそういう人たちのサークルはどんどん小さくなってきて、高齢化している。しかし、高齢化も悪いことではなく、高齢化しているのに、その高齢者は非常に元気でアクティブだ。他の良い人生を送ってくれれば、と思う。

今起きている様々なことは、おそらく、そういう「旧世代」と「新世代」の急激な切り替わりに伴う「歪」の現象そのものがほとんどではないかと思う。高齢者や旧世代の人たちが、「スマホを若者から奪え」と言う。それは諸悪の根源だ、という。たしか、前のときも「ゲーム脳」とか「携帯脳」とか言うのが言われたことがあったが、実際あれは「嘘」だったこともバレてしまった後だ。

若い人間から、このコミュニケーションツールを奪っても、時代は元には戻らない。そこだけ没落していくだけだ。奪うな、やるがままに任せよ、と思う。

やがて始まるのは、旧世代の文化を抹殺する新世代の動きである。世の中の動きの、この速さについていけない人はもういなくなるだろう。



「ローカル」がなくなる

Kobe City, Hyogo pref./JAPAN

従来の「地域を元にした文化」というのは、「地域」が「排他」なものである。たとえば、人は「Aという地域にいながら、Bという地域に同時にいる」ことができない。つまり「排他」が自然だった、ということになる。おそらく、これが、これまでの人間の普通の感情の根底にある。だから、「宗教Aを信じていると同時に宗教Bも信じている」という人もいなかった。

しかし、副業なども当たり前になると「Aという会社につとめていながら、Bという会社の社員でもある」ということは普通になる。当然「Aという宗教を信じていながら、Bという宗教も信じている」だって、あっておかしくはない。それを、現状の古い価値観の宗教家や宗教団体の長が認めていないだけだ。

リモートワークも当たり前になると、米国にいながら中国の会社の社員でもあって、その業務もこなしつつ、日本の会社の仕事もしている、という例は当然出てくるだろう。インターネットがあるからこそ、そういうことができるのだ。

ということは、世界は急激に変化しており、ボーダーレスが当たり前の世の中が既に来ている。パスポートも「A国のパスポートも持っているがB国のパスポートも持っている」というのが、正式にできる国も増えた。

であれば、今後は「AもBも同時に」ということを考えたり、できる人間が増えていくだろう。

音楽だって、既に和楽器で奏でる西洋音楽、というジャンルもあったし、中国の楽器で奏でるロックンロールもあるわけだしね。

宗教の例で言えば「自分は仏教徒だが、イエス・キリストの言う神も存在を信じている」ということが自然である、ということも始まるのだろうと思う。そうなると、社会はどう変わるのか?楽しみだ。

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