OFF THE HACK!

Ver 7.0 by NORIHIRO MITA

作者別: nori-m Page 2 of 3

「5Gデマ」のこと

いやぁ、あちこちに「5Gデマ」が広がっています。AFPでも、それでデモが起きたときか、そういう話があったりします。「5Gは有害な電波を出す」とか言っています。

実際のところ、電波通信の原理を知っていれば「5Gの電波だから」というようなことはなく、むしろ、1Gとか2Gの時代のほうがはるかに電波が強かったのに、ということになります。

え?「電波」と「電磁波」は違うだろう、って?「電波」って「電磁波」の略だから、同じなんです。「じゃ、電磁波ってなぁに?」ということだと、ぼくら電気系の工学部の大学では「電気磁気学」ってのを習ったわけです。「電気」が流れ、その変化がある(つまり波になる)と、その周辺には「磁気」ができる。「電気」の変化に伴って「磁気」ができると、今度は「磁気」の変化に伴って「電気」が流れる。これが連続して、空中なんかを飛んでいくわけで、これが「電磁波=電波」というわけです。

つまり、思いっきり簡略化していうと「電気があるところには磁気がある」「磁気があるところには電気がある」わけです。ということは、電気で動くものがあるところって「電磁波だらけ」なわけです。テレビだろうが、PCだろうが、洗濯機だろうが、冷蔵庫だろうが、みんな同じです。

あなたが電磁波の無い生活をしたいのだったら、まず周辺からスマホもPCも、洗濯機も冷蔵庫も電卓も、電気を使うものを一切排除すると完璧です。いや、「5Gが」って、じゃ、5Gがその前の4G/LTEとどう違うのか?ご存知ですか?良い面で言えば、5Gは4Gの千倍の通信速度が出ます。悪い面を言うと、その速度が速いから、スマホの基地局とかでは、もっとスピードが速く、もっと容量の大きな設備が必要になります。お金がかかるのです。でも、それだけです。だって、テレビ放送だって、ラジオ放送だって、4Gだって、5Gだって、同じ電波(電磁波)なんですから。

ちなみに、6Gの話ももう出ていまして、こちらは電波はもう使わなくなるんじゃないか?という噂話も流れています。「わからないから、危ないかもしれない」ということで言えば、6Gはそうかもしれない。でも、わかりませんね。実際のものがわかってくるまでは。

「PCでゲーム」は。。。しなかったなぁ。

確かに、ぼくもこの最初の頃のPCに触ったことがあって、欲しいとも思ったけど、思い入れはない。この頃はシャープも頑張っていたし、富士通のも日立のもPanasonicのもあった。海外にも大小様々なPCがあって、とても楽しかった。日本はいまだ高度経済成長期の終わり近くで、繁栄もしていて、剥落した今の日本から見たら、ノスタルジーを感じるには十分すぎる環境だったと言っていい。

PCはあくまでぼくが子供の頃の、人生設計のために触ったものだったから、いろいろ熱中はしたものの、ゲームは時間の無駄と思って、やっていない。だからPCには「愛機」というような感情は持ったことがないが、ぼくの立場からは、おもちゃとも思わなかった。良き子供時代を思い出すアイテムでもなく、現在の自分には、こういったミニチュアに心動かされるということは、まるでない。

まぁ一般的な子供ではなかったよなぁ、と自分のことを思い出すばかりだ。ぼくは子供の頃から、コンピュータを触るとき「これで世の中がどう変わっていくか」がすごく楽しみで、ワクワクしていて、それで十分だったから、こういうおもちゃとしてのPCに興味が湧かなかったんだろうな、と思うよ。

だから、子供の頃から、「パソコン少年」みたいに思われるのはすごくイヤだったし、そういう子供の感性は、明らかにどうでも良かったのだが、ぼくを「パソコン少年」と勘違いした人たちがいっぱい寄ってきたのは覚えている。そういう人たちは、そういうぼくの力を無料に近いお金で買えると勘違いした商売人と、パソコン少年そのものの大人が、自分の仲間だと思ってやってくるかのどちらかだったんだが、ぼくはその両方のどちらとも親近感を覚えることはなかった。冷たい目で彼らを、どう使えるかだけを考えていた。

孤独ではあったけど、自分なりに未来を見据えた話をしていたので、楽しかったけどね。でもそれって、PCに関しては「同じおもちゃで遊んだ」という記憶や、その記憶に依拠する仲間意識ではなかったわけでさ。そんなことは、長じた今でも、どうでもいいことだと思っている。

ぼくが子供の頃から好きだったのは、変わっていく人間であり、人間社会だったのであって、モノとしての「おもちゃ」ではなかった、というだけのことなんだがね。

充電の森

香港の空港で

なんというか、いろいろな機器が増えてくると、USB充電の機器も増えてきて、USB充電のためのUSBの口の多さには閉口する。私の自室で、20個では足りなくなってきた。これでも、ずいぶん減らしたつもりである。本人は。

自室に戻ると、まずはカバンの中からスマホだとかデジカメとかモバイル充電器とか、とにかく思いつく限り取り出して、充電ケーブルにつないだり、Qiiのボードの上に置く。この作業だけで、30分近くかかることもあるし、出し忘れて翌日充電不足ってこともある。

さらに、翌朝には充電器から必要なスマホなどの機器を外し、カバンに入れる。毎朝である。もちろん、持っていき忘れることもある。

こうなると、健常者でも、物忘れなんてのは日常茶飯事になってくる。さらに、高齢化が進んで、新しいことを頭に入れる、ということがだんだんできなくなってきたときは、どうするのだろう?と疑問が浮かぶ。

そして、こういう機器はどんどん増えていくのだ。そして、自分を含めた多くの人は確実に歳を取る。

いま、私の部屋は「充電の森」になっている。

「情報の自由」の世界の「陰謀論」について

江ノ島西海岸から

最近、文化的な齟齬が起きる場面を多く見ている。インターネット、その上で動くSNSなどの「横の情報網」が世の中にあまねく広がったため、そのネットワークから漏れる人には、全く情報が届かない、ということも一方では起きるものの、社会人として普通に生きている人は、それまでは経営者や管理職、政治家などの一部の人が知りえていた情報が手に入る、ということも多くなってきた。

しかし、経営者には、経営者という立場でのお金の使い方や考え方があって、政治家にしても、政治という世界での立場やその立場による考え方がある。また、これは官僚などにも言えることだけではなく、多くの違う立場の人がそれぞれに持っている「立場」から見える「世界」が違うのだ。

だから、違う立場の人間の情報をある立場の人が得ても、全く役に立たないか、あるいは、余計な「下衆の勘ぐり」なども出てくる、ということがある。

たとえば、経営者は常に社員の給与の心配をし、どんなに短くても数ヶ月先を読んで資金繰りなどを考える。「お金」の心配は、自分のことだけではなく、社員のことも考えないとやっていけないし、外部の会社などへの支払いが滞れば、それだけで「倒産」だって十分にある。そうなれば、社員全員を経営者は敵にせざるをえない、場合によったら外部の業者も敵になる、という事態だって起きる。しかし「社員」は、毎月の給与が入って来ることを前提に家族も含めた生活設計を立てているわけで、毎月の給料としてのお金が入ってこなくなる、ということは、まず考えることはないし、考えたところで、どこからか会社1つをなんとかできるほどのお金を持ってくる人脈なども通常はありはしないだろう。

要するに「立場が違えば、入ってくる情報も違う」のであって、たとえ立場の違う人の情報が入ってきても、その情報をちゃんと理解して、自分の行動に反映も、普通はできない。立場が違うとできないのであって、どちらが頭がいいとか悪いとか、そういう話ではない。

しかし、現状のインターネット、SNSの世界では「情報は平等」である。情報を受ける側の立場の違いは、一切考慮されず、情報が一方的に入ってくる。そこで、「自分が理解し得ない情報」も入ってくる。そこで起きるのが「あいつはなんか秘密のいいことをしているらしい」という「下衆の勘繰り」である。自分の立場では全く理解できない情報の束の中でそれをなんとか理解しようとする。しかし、立場が違い、持っている経験や背景、知識が違えば、当然、異世界の情報などわかろうはずがない。しかし、それでは納得がいかない、というモヤモヤしたものが残ってしょうがない。そこでそういうモヤモヤを持つ人に都合よく作られた話を使って、とぎれとぎれになった情報をつなぎあわせる。

あまりきれいな話ではなくてすまないが、どこかの草原とか森の中に、犬の死体とイノシシの死体がちらばっていたとしよう。犬もイノシシも知らない人がそれらをつなぎ合わせれば、よくわからない「怪物」ができあがるだろう。そして、つなぎ合わせた人は言うのだ「これが私もあなたも知らなかった怪物の正体だ!」と。これが「陰謀論」である。

かくして、モヤモヤは解消するが、真実はよりいっそうわからなくなってしまう。陰謀論が独り歩きする。犬とイノシシの合成された姿が世の中に「実在する珍獣」として、広まってしまう。別のところで、猫とネズミの死体を継ぎ合わせて別の「珍獣」ができ、犬とイノシシの合成珍獣と猫とネズミの合成珍獣のたたかいが、なんていう話の尾ひれがついて、と、もうその先は「陰謀論が陰謀論を呼んで。。。」という世界になってしまう。

もう数年前になるが、いわゆる「STAP細胞騒ぎ」があったとき、私も分子生物学の世界に一時いたことがあるので、興味深くその話を聞いた。そして、世の中にこの種の「わけのわからない陰謀論」がいかに多いかを知った。

「陰謀論」はつまり、こうやってできる。それは情報の平等に交通整理が間に合わなかったこんな時代を象徴する出来事だったのかもしれない。



走って来た。

江ノ島

僕の場合は、なんだが、どうも他の人とメンタルが違うなぁ、と思うことが多くなった。誰も羨むことがないし、誰も尊敬していない。目標にする人間像もなく、とにかく自分が求めたものに対して、ただただ突っ走っていく。周りの目を気にしたことがない。いや、最近は少しは気にするようになったんだが、まるで気にしていないように見えるらしい。ごめんなさい。悪気もないし、何か企んでいるわけでもなく、ただただ目標を定めて、突っ走ってるだけなんですよね。好きなことができれば、それだけでとても満足なんです。

気がつけば「先生」と呼ばれる立場にはなったんだが、別にどう呼ばれようと気にしていない。自分の好きなことができれば、それだけで幸せなんですよ。だから、社会の中での自分の立ち位置は、垣間見ることはあっても、こだわったことがない。どうでもいいんです。自分の好きなことができれば。

だから、立身出世なんてのは考えたこともない。博士号はなく、修士もない。勉強で頑張って、という記憶がない。好きだったからやっただけだ。でも外国の大学の教授にはなったことがある。好きでやったことを他の人にも勉強してほしくて、それが本になって、100万部以上売れたこともある。たまたま好きだからやってたんだよね。今でもお金があるとは言えないけど、好きなことは欠かさない。

何かに反抗しようとしているわけでもなく、人より良い立場にいたい、ってこともない。好きな時に好きなことができればいいんです。人生の充実ってのはそこにあるから、と思っているからだね。だから、キャバクラ行きたいとか、いい酒が飲みたいとか、そういうものってないんですよ。それが楽しいというのではなく、それはあれば楽しいんじゃないかなぁ、とは思うけれども。行ったことないけれども、そういうものを目標にしているわけでもない。

ぼくのメンタリティってこれが普通だと思っていたんだが、多くの人は違うらしい、ってのは、最近わかってきたよ。でも、よくこの歳までこの感性でいられたよなぁ、とも思うよ。とにかく突っ走る。それが全てなんだね。まぁこういう人間もいる、ってことでね。

だから、常に生き生き、伸び伸びしてるんでしょうね。人間が単純だから。それが、なんか優越感を持ってるように見えることがあるみたいなんだね。好きなことだから、自信持って話すしね。

だからよく思い出せば、凹んだこと、ってないです。強いて言えば、昨年母が死んだり、いろいろなことがあった時なんだけど、仕事では凹んだことない。好きなことができてるからだね。で、あいつを凹ませてやろう、あいつより優位に立って、言うことを聞かせよう、って人がいるんですよね。ぼくのことをね。でも感性そのものがもともと違うので、今までそう言うことに成功した人は誰もいないんですよ。

そう言うことをぼくにしようとした人は、みんな途中でサジ投げちゃうわけです。その人からぼくを見ると、異世界の異星人みたいに見えるらしいんだね。最後はね。実際それに近いのかも知れない。

お世話になっている人には礼を尽くすのは当たり前なんだが、自分なりのやり方なんだよね。だから、それが見えない人には、おそらく永遠に見えないんでしょうね。そういう齟齬ってあるなぁ、と思うし。これは悲しいことだけど、どうしようも無いです。ぼくも。

新しいUX/UI哲学

まぁ、いろいろあるんだが、2013年に、こういうUX/UI哲学を考えた。概念なので、特許とかは無理っぽいんだが、おそらく、現在のスマホのUX/UIはこうならないとね、ということを考えた。

https://www.slideshare.net/norihiromita

ご参考まで。

「地域の時代」の消滅

江ノ島・西海岸

「情報」「人流」「物流」は既に国境を軽々と超えた。3日前に頼んだスマートフォンは、大陸中国の深センで製造され、香港を経由して、いま、東京に届く。お金は国際クレジットカードで支払えば良い。お金は最終的には製造した大陸中国の深センの企業に行く。一瞬で、だ。

日本国内でも地方都市の様相は、都会のベッドタウンと変わらない。同じチェーン店があり、チェーン店の洋品店で買ったものをみんな着ていて、その服は日本の外で作られたものがほとんどだ。どの駅で降りても、同じ。違うのは「きさらぎ駅」くらいなもんじゃないか、という冗談も聞こえるが、ぼくは行ったことがないので、知らないのだが。

つまり「都会」と「田舎」のボーダー(境界)もなくなった。人間社会の将来は「地域に縛られた低所得者」と「地域に縛られない高所得者」に、人間が分かれるのではないか?とさえ思える。こうなると、地域に立脚したあらゆるものが、同じ様相ではいられないことだろう。地域のゆるキャラ投票には地球の裏側からだって投票できる。「メッカの方を向いて礼拝」だって、反対側に向かってやっても間違いではない。

つまり、それがどんな宗教であろうと「地域」がベースであるのが宗教なので、宗教も大きく変わらざるをえないだろう。これは、企業や地域政府などもおそらく同じだ。従来と同じ考えで従来と同じ原理で生きていくことは、周囲との軋轢を生み、うまくいかなくなってくるだろう。

「ローカル」がなくなり「インターナショナル」が普通になる。

この流れについていけない人は、ジリ貧になっていく「地域」に縛られ、ルサンチマンをあちこちで爆発させる。そんな世の中がやってくるだろう。

テレビ見てる?

江ノ島海岸の9月

あくまで個人的には、だが、ぼくは1983年に、自宅にインターネットの常時接続の線(OCN)が入ってきて、それ以来、宅配の新聞はとっていないし、テレビも、YouTubeなどの動画が当たり前になる頃に、まず見なくなった。テレビは、もう1か月に見ている時間は数分だろう。随分高いNHKの受信料金を払っていることになる。

とは言うものの、テレビや新聞の情報は、ネットのニュースなどで上がってくるので、テレビで今なにが話題か?なんて情報はあったりする。偏っているのかもしれない、とは思いつつ、既に「朝ドラ」「紅白歌合戦」ではない。「はぁ、そういうこともあったんですか」という感じなのですね。

ぼくは1957年生まれだから、子供の頃は本当にテレビ漬けと言ってもいい時代を過ごした。しかし、自分からいろいろな欲しい情報を欲しいときに得る、ということになれば、ネットのほうがいいに決まっている。テレビ受像機は捨てたわけではなく、PCのモニタとしてChromecastなんかをつないでいる。そのほうが面白いからだ。時代が変わった。

変化は楽しく、変化しないものは楽しくなくなった。やがて、自分の変化を嫌うときが来るのだろうか?と、最近は考える。

スマホの電波が掴めても

通信インフラが便利になると、一般の人は「電波さえつながればインターネットにつながる」と思っている。実はそれだけではインターネットにはつながらない。途中の回線。サーバー側だってちゃんとうごいていなければならない。

電波がスマホに届いても、その基地局がつなげているのは別のインフラのシステム。インターネットもそうだが、NTTの基幹ネットワークもちゃんと動いていなければ、ネットにはつながらない。

電波が届いていても、インターネットにつながるとは限らない。インターネットがつながっていなければ、メールもインスタもFacebookもtwitterも動かない。

こういう災害時には、その裏側で膨大な機器と人ががんばって、なんとかつないでいるのだ。これは、電力でも水でも今や同じだ。

まずは通信インフラが復旧しないと、電力その他のインフラも全く動かない。ぼくらは、いま、そういう世界に生きているのだ。だから、戦争もサイバー戦争にならざるを得ない。

最初はいろいろあるもんだ

今も覚えてるけどさ、2003年くらいに、デジタルカメラが完成し始めたときに「一眼レフのクイックリターンミラーはなんのためにあるか」って考えて、デジタルカメラの時代には、みんなミラーレスになるよね、って言ったら、まぁ多くの「カメラ好き」の人たちにさんざん叩かれた。「そんなことになるはずがない」ってね。いまそうなってるだろ。

一眼レフカメラのクイックリターンミラーは、レンズから覗いたままを、ファインダーで見て、それをフィルムに焼き付ける、という発想からできた。「見たままを撮りたいから」ってことですね。であれば、撮像素子をフィルムの代わりにしているデジタルカメラは、撮像素子に写っているデータをそのままコピーすりゃいいざんしょ、もう光学的なものやメカ的なものは必要ないよね、と思って、その当時に「ミラーレスの時代が来るよ」って予言したわけです。いや、そういう神がかったのじゃなくて「予想」したわけです。

インターネット以前の時代にデータ通信とか商売にしていたわけですよ。その時に「みんなTCP/IPになるよ」って言ったら、粘着して散々なこと言うNovel Netware信奉者がいたんだよね。何年か経って、そいつが「ぼくもTCP/IP始めました」って言ってくるんだよ。

先を見る。先が見える、ってのは見えたそのときには、迫害されるとか、そういうことあるんだなぁ、と思うよ。だって多くの人がわからないこと言うことになるからね。そういうときに「転向」せずにいられる処世術とか強さ、ってものって、すごく必要なんですよ。

偶然だけど、そういうことを2つも経験した。面白い人生だよなぁ、と思うよ。

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