江ノ島西海岸から

最近、文化的な齟齬が起きる場面を多く見ている。インターネット、その上で動くSNSなどの「横の情報網」が世の中にあまねく広がったため、そのネットワークから漏れる人には、全く情報が届かない、ということも一方では起きるものの、社会人として普通に生きている人は、それまでは経営者や管理職、政治家などの一部の人が知りえていた情報が手に入る、ということも多くなってきた。

しかし、経営者には、経営者という立場でのお金の使い方や考え方があって、政治家にしても、政治という世界での立場やその立場による考え方がある。また、これは官僚などにも言えることだけではなく、多くの違う立場の人がそれぞれに持っている「立場」から見える「世界」が違うのだ。

だから、違う立場の人間の情報をある立場の人が得ても、全く役に立たないか、あるいは、余計な「下衆の勘ぐり」なども出てくる、ということがある。

たとえば、経営者は常に社員の給与の心配をし、どんなに短くても数ヶ月先を読んで資金繰りなどを考える。「お金」の心配は、自分のことだけではなく、社員のことも考えないとやっていけないし、外部の会社などへの支払いが滞れば、それだけで「倒産」だって十分にある。そうなれば、社員全員を経営者は敵にせざるをえない、場合によったら外部の業者も敵になる、という事態だって起きる。しかし「社員」は、毎月の給与が入って来ることを前提に家族も含めた生活設計を立てているわけで、毎月の給料としてのお金が入ってこなくなる、ということは、まず考えることはないし、考えたところで、どこからか会社1つをなんとかできるほどのお金を持ってくる人脈なども通常はありはしないだろう。

要するに「立場が違えば、入ってくる情報も違う」のであって、たとえ立場の違う人の情報が入ってきても、その情報をちゃんと理解して、自分の行動に反映も、普通はできない。立場が違うとできないのであって、どちらが頭がいいとか悪いとか、そういう話ではない。

しかし、現状のインターネット、SNSの世界では「情報は平等」である。情報を受ける側の立場の違いは、一切考慮されず、情報が一方的に入ってくる。そこで、「自分が理解し得ない情報」も入ってくる。そこで起きるのが「あいつはなんか秘密のいいことをしているらしい」という「下衆の勘繰り」である。自分の立場では全く理解できない情報の束の中でそれをなんとか理解しようとする。しかし、立場が違い、持っている経験や背景、知識が違えば、当然、異世界の情報などわかろうはずがない。しかし、それでは納得がいかない、というモヤモヤしたものが残ってしょうがない。そこでそういうモヤモヤを持つ人に都合よく作られた話を使って、とぎれとぎれになった情報をつなぎあわせる。

あまりきれいな話ではなくてすまないが、どこかの草原とか森の中に、犬の死体とイノシシの死体がちらばっていたとしよう。犬もイノシシも知らない人がそれらをつなぎ合わせれば、よくわからない「怪物」ができあがるだろう。そして、つなぎ合わせた人は言うのだ「これが私もあなたも知らなかった怪物の正体だ!」と。これが「陰謀論」である。

かくして、モヤモヤは解消するが、真実はよりいっそうわからなくなってしまう。陰謀論が独り歩きする。犬とイノシシの合成された姿が世の中に「実在する珍獣」として、広まってしまう。別のところで、猫とネズミの死体を継ぎ合わせて別の「珍獣」ができ、犬とイノシシの合成珍獣と猫とネズミの合成珍獣のたたかいが、なんていう話の尾ひれがついて、と、もうその先は「陰謀論が陰謀論を呼んで。。。」という世界になってしまう。

もう数年前になるが、いわゆる「STAP細胞騒ぎ」があったとき、私も分子生物学の世界に一時いたことがあるので、興味深くその話を聞いた。そして、世の中にこの種の「わけのわからない陰謀論」がいかに多いかを知った。

「陰謀論」はつまり、こうやってできる。それは情報の平等に交通整理が間に合わなかったこんな時代を象徴する出来事だったのかもしれない。