5Gデマはいろいろ出回っているが、デマの領域を出ていない。4G以前と5Gを分けるのは、FR2と呼ばれる30GHz前後の、これまで電波としては使いにくく技術が進まなかった帯域の追加と、5G NRと呼ばれる新しい通信方式である。

「とにかく新しくてわからんものは怪しい」という文系脳の情緒的な思考は、具体的根拠に欠けるが、一方でそれを信じる人も増加しており、大きな影響力を持つこともあるから、注意が必要だ。

人間は感情の動物なのではなく、理解と納得に至るまでに複雑かつ広範囲の面倒な学習を必要とする場合は特に、論理的思考や長期間の学習を諦めて、感情で物事を処理しようとするものなのだ。そしてそういう人のほうが数が多く、科学やテクノロジーの急速な進化でそれらが時系列で複雑化していく現代にあっては、理解も納得もなく論理で物事を組み立てられない人の数が急増しているので、その傾向はさらに強まる。

一人の人間の中でも、ある時点においては、多くの知識を持つことがある分野と、少ない知識しか得られない(それまでの経験で得られなかった)分野もある。特に後者に関して、多大で長い複雑なことを理解する勉強が必要な場合は、その理解と納得を諦めるのは、ごく普通の人間の行動である。そして、インターネットや無線というICTの分野の技術は既に多岐で複雑で不可視で、勉強の緒さえつかめない人が多数いるだろうことは、想像に難くない。であれば、その分野に関して、理解や納得を諦め、感情での判断を行う人はこれからも多くなると思われる。

そして厄介なことに、それを理解し納得する人よりも、それを諦める人のほうが圧倒的に数が多いのだ。そしてそれは社会全体から見て、自然なことだ。しかも、ICTのテクノロジーは、芸術・文化から日々の生活、仕事まで、あらゆることに浸透しており、これを無視しては生きていけないのが、今の人間の社会だ。だから、わたしたちの多くは、人間自身が社会の中で作ってきたにも関わらず、理解や納得を諦めた「モノ」「サービス」「体験」に多く、自分の命さえ委ねずに生きていくことはできなくなった。全く理解も共感もできないが、それに頼ってしか生きていけない、という「相方」がすぐ近くに24時間いるようなものだ。しかも「それ」は、人間ではないが、悪意を持っているわけではない。しかし、感情として、どうもスッキリしないのは、如何ともし難い人間の感情を呼び起こす。

簡単に言えば、現代は、人間社会を支えるテクノロジーがどんどん複雑化し、それについていけない人が増えるに従い、人間社会を支える基盤が揺るぎ始めているのだ。そういう意味で「5Gデマ騒ぎ」は軽く扱われるべきではない。

ほんらい、人間の持つ知性とは、怒りなどの反社会的な感情の暴発による社会の崩壊を、理解と納得によって防ぐ機能もあったのだが、知性の持つもう一つの側面である「より良い生活を物事の道理を使いこなすことによって実現する」というところがあまりに強調されすぎ、知性そのものが、人間社会から忘れられようとしているのではないか。それはおそらく、かつて私たちが感じていた「知性」というイメージとはかけ離れたものなのではないか?

「人間は現代において白痴化した」とはよく言われるが、それは、多くの人にとって「複雑で膨大で不可視なもの」となってしまった現代の、知性の結晶の一つとも言えるテクノロジーの急激な進化自身が起こした現象なのである。

古代ローマ帝国の崩壊は、外敵よりも内部から始まった。それは進化の必然であった。現代の人間社会も、その進んだテクノロジーが滅びへの道をより短いものにしたのではないか?多くの人は「考えること」「物事を理解すること」を諦めた。そこから、文明の崩壊が始まる。