「情報」「人流」「物流」は既に国境を軽々と超えた。3日前に頼んだスマートフォンは、大陸中国の深センで製造され、香港を経由して、いま、東京に届く。お金は国際クレジットカードで支払えば良い。お金は最終的には製造した大陸中国の深センの企業に行く。一瞬で、だ。
日本国内でも地方都市の様相は、都会のベッドタウンと変わらない。同じチェーン店があり、チェーン店の洋品店で買ったものをみんな着ていて、その服は日本の外で作られたものがほとんどだ。どの駅で降りても、同じ。違うのは「きさらぎ駅」くらいなもんじゃないか、という冗談も聞こえるが、ぼくは行ったことがないので、知らないのだが。
つまり「都会」と「田舎」のボーダー(境界)もなくなった。人間社会の将来は「地域に縛られた低所得者」と「地域に縛られない高所得者」に、人間が分かれるのではないか?とさえ思える。こうなると、地域に立脚したあらゆるものが、同じ様相ではいられないことだろう。地域のゆるキャラ投票には地球の裏側からだって投票できる。「メッカの方を向いて礼拝」だって、反対側に向かってやっても間違いではない。
つまり、それがどんな宗教であろうと「地域」がベースであるのが宗教なので、宗教も大きく変わらざるをえないだろう。これは、企業や地域政府などもおそらく同じだ。従来と同じ考えで従来と同じ原理で生きていくことは、周囲との軋轢を生み、うまくいかなくなってくるだろう。
「ローカル」がなくなり「インターナショナル」が普通になる。
この流れについていけない人は、ジリ貧になっていく「地域」に縛られ、ルサンチマンをあちこちで爆発させる。そんな世の中がやってくるだろう。
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