新型コロナウィルスだが、20日午前0時に大陸中国の政府が発表した数字による統計は以下だ。

全中国での罹患者:    0.0054% (2万人に1人)
罹患者中の死亡者:    2.84%  (100人の罹患者のうち3人)
全中国での罹患後死亡率: 0.00015% (100万人に1.5人)


この数字で驚くのは、最近の罹患者の急激な増加と、罹患者のうちの死亡者の割合がじりじりと上がっていることだ。報道では「たいしたことはない」という報道も多いようだが、この数字を見ると、楽観はできないことがわかる。特に「罹患後の死者」が、2%前後で推移していたものが、既に3%に迫ろうしている。急激に、という表現が適切かはわからないが、不気味にじわじわと罹患者の死亡者が増えている。

マスコミでは、「X人が罹患しました」「X人が新たに。。」という話ばかりだが、こういった「割合」について伝えていない。この数字を見ると、「あれ?そんなにたいしたことじゃないんじゃない?」ということを言う人も多いだろうからだ。

なぜかというと、日本で毎年交通事故で死ぬ人は、このところ大きく減少しており、日本人の全人口( 1億2601万人 :総務省統計局2019年)に対して、3215人(2019年警視庁統計)。つまり、0.0026%。つまり、3万人に1人が交通事故で亡くなっている。この数字と割合で比べると、明らかに「新型コロナウィルスで亡くなっている方は、交通事故で亡くなった方よりも(割合にして考えると)非常に少ない」ということになる。パーセンテージにして二桁も少ないのだ。つまり、「報道」という「商売」から考えると、事は大きく報道して、大衆の耳目をひきつける必要があるので、「パーセンテージで報道すると、インパクトがなくなってしまう」。だから、人数で数え、割合では書かない。そういうことではないか?と、私は思っている。

報道機関という「商売」にとって「交通事故で人が死んでもニュースにする価値はない」けれども「新型ウィルスで人が死んだらニュースにする価値がある」のだ。「犬が人を噛んでもニュースにならないが、人が犬を噛んだらニュースになる」。まさにそのままだ。

しかしながら、毎度言うようだが、「割合」はあっても「割合の割合」はない。だから、あなたがその不幸な人の1人にならない保証はどこにもない、ということだ。