Ver 7.0 by NORIHIRO MITA

月: 2019年9月

製造業の終わり

うーん、そういうと、すごく違和感がある、って人もいるんだろうけど、秋葉原を歩いていても、かつてのワクワク感がかなりなくなってきた感じがするんですよね。ぼくは特に製造業のIT化で食ってきた身だから、「なんて事言うねん!」とか言われそうなのはわかっているんだが、それでも、「日本の製造業のかつての元気さ」ってのは、もうないし、おそらくかえってはこないだろう、と思うのだね。

それだけなんだけど。

「個性」もまた人それぞれ

鎌倉の大仏のところのライトアップ

人間には、どうしても変えることができない「個性」もあるのだが、一方で「個性」と言うものがない、という「個性」もある。たとえば、役所のお仕事のようなものは、なにがあっても滞っていはいけない。ある日、Aさんが病気で休みを突然とったり、退職した、という場合でも、Aさんのやった仕事を、すぐにBさんに引き継げなければいけない。そんなとき、Aさんの仕事がAさんの個性でしかできない仕事では困るのだ。

だから、役所の多くの仕事は、個性が強いひとがやってはいけない、ということになる。しかし、アニメの原作とか、あるいは、コンピュータのプログラムを組むような仕事では、明らかに「個性」が必要なものがけっこうある。コンピュータのプログラムでも、個性が必要なものと、そうでないものがあるのだ。

とは言うものの「個性が必要でない仕事」は、やはり人工知能やロボットに集約されていく、ということはあるのかもしれない。将来的にはね。

つまり、個性というものも「適材適所」で、個性が必要な場所では個性がある人が仕事なりなんなりをすべきであって、個性が必要ない場所では、そういう仕事が得意な人が仕事をすべきなんだね。



努力して、チャンスを待て。

まちなかでも若い人が一眼のカメラを持って歩くのをよく見る。ネコの写真とか、シロウトものでもそれなりに価値が出る時代だし、一眼カメラを持っているからと言って、全員がプロで食って行けるわけでもなく、カメラを持って何者かになろうとしても、なれるわけでもない。また、プロになったからといって、ずっと食える、ってこともないかもしれない。

他人のことはともかく、自分は写真を仕事で撮っていたから、その仕事に特化したかたちのスタイルを自分で作って、まぁそれなりになんとかなった。つまり仕事が主であって、道具はそれを実現するための、それこそ「道具の一つ」に過ぎないので、それが高価なものであろうと安物であろうと、どうでもいいことだ。

今は趣味で写真に向かっているが、ときどきプロのクォリティを求められるときでも、一眼を使う場面は減っている。安い機材でも、そこそこのものが撮れるし、プロの仕事は機材では差は出ない。そうでなければ、鍛えたプロではない。

写真を仕事にする、というチャンスは人生にそう多くはなく、そうなリたくても、そうなれないで一生終わる人もいる。

チャンスは目の前を通り過ぎるものだ。チャンスは運次第だ。しかし、そのチャンスを掴むための目、今、目の前を通っているものがチャンスなのかそうでないのかの見極めは、一瞬で行わないと、チャンスを逃す。

その一瞬のために、鍛える。勉強が必要であり、チャンスを増やすため「出会い」も求めるのはいいことだ。

全て、根気も才能も努力も必要な「実力」あってのことだ。

Good Luck.

Hello Cyberspace!

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